『スティーブズ』――現実歪曲空間の虚実

松永肇一=原作,うめ=作画

シリーズ概要

スティーブズ 第3巻
スティーブズ』は、松永肇一 (まつなが けいいち) さんの原作、うめさんの作画で、「ビッグコミックスペリオール」2014年14号から2016年24号まで連載していた漫画で、アップル創業者のスティーブ・ジョブズスティーブ・ウォズニアックを中心に、1975年の Apple I 開発から、1984年の Macintosh登場までのパソコン業界の熱い戦いを描く。きわめてリアルな内容に、アップルからNGが出たほど。
10年弱という短い間に、ガレージキットの Apple I は洗練された Macintosh に進化し、コモドールやタンデムといった大手の参入、そして青い巨人が IBM PC を発売し、マイクロソフトのビルゲイツMS-DOSWindows をリリースする。

スティーブズ 第1巻

表紙 スティーブズ 第1巻
著者 うめ/松永肇一
出版社 小学館
サイズ コミック
発売日 2014年11月28日頃
価格 671円(税込)
ISBN 9784091866981
ジャック・トラミエル「いちばん安く、いちばん多く売った者が、マーケットを支配する
1975年、米カリフォルニア州ロスアルトスのガレージで、スティーブ・ジョブズスティーブ・ウォズニアックはコンピュータを作っていた。あと必要な部品は、メモリに使う DRAM だ。2人は、カリフォルニア州サンタクララにあるインテル本社に押しかけた。ジョブズは「オレたちの革命に、ちょっとした貢献をさせてやる」と豪語すると、タダで DRAM を手に入れてしまう。ジョブズウォズニアックロン・ウェインが加わり、アップル・コンピュータが設立される。
カリフォルニア州メロンパークで開催されているホームブリューコンピュータクラブ(HCC)に乗り込んだジョブズウォズニアックは、開発した基板を紹介するが、アルテアの熱狂的なファン達の心を動かすことはできなかった。そこで偶然、世界初のコンピュータ専門店「バイトショップ」のオーナー、ポール・テレルに出会う。翌日、バイトショップを訪れたジョブズは、テレルから開発したコンピュータを100台受注する。ジョブズの妹パティと旧友ダン・コトケが加わり、手作業でコンピュータを製造するが、とても納期には間に合いそうもない。会社設立から2週間でロンは去って行った。
ジョブズがテレルに納品した100台は基板だけだった。だが、事情を察したテレルは、気前よく5万ドルを支払い、「これからが見物やなあ。ニイサンが希代の詐欺師になるか、はたまた、ほんまに世界を変えるんか」と言った。その後、テレルは基板を洒落た木の箱に入れて売り出した。電源を入れればすぐ使えるよう、基本的なソフトウェアをROMに格納した世界初のパーソナルコンピュータ「Apple I」の誕生だった。

コモドールの社長ジャック・トラミエルはアウシュビッツ収容所から生還した男だ。ジョブズは彼に50万ドルの投資を持ちかけたが、トラミエルはウォズニアックを付けろと譲らない。トラミエルは「いちばん安く、いちばん多く売った者が、マーケットを支配する」と豪語する。
ウォズニアックの父は彼にジョブズとのパートナー解消を迫るが、ウォズニアックはジョブズは「ものごとを正しくする人間なんダな」と言って譲らない。次のコンピュータの拡張スロットを2つにすることにこだわっていたジョブズは、ウォズニアックが提案する8本で妥協するのだった。

ジョブズは、共産主義者で電源の技術者ロッド・ホルト、HP社で家電デザイナーをしていたジェリー・マノック、HCCに出入りしていた少年ランディ・ウィギントンクリス・エスピノーザを迎え入れ、次のコンピュータの開発を加速させる。
ジョブズは、投資会社セコイア・キャピタルのボス、ドン・バレンタインに会い、「ただの投資家じゃダメだ、経営に参加してリスクを取る奴が要る」と迫ると、フェアチャイルドとインテルで働いた経験がある投資家マイク・マークラを紹介される。アップル・コンピュータのガレージを訪れたマークラは、ウォズニアックの設計の凄さを理解し、25万ドルの出資を約束する。時に1976年。
同じ頃、ビル・ゲイツポール・アレンがバイトショップを訪れ、「Apple I」を見物していた。

スティーブズ 第2巻

表紙 スティーブズ 第2巻
著者 うめ/松永肇一
出版社 小学館
サイズ コミック
発売日 2015年06月12日頃
価格 671円(税込)
ISBN 9784091871107
ビル・ゲイツ「君らがやっていることは、ソフトウェア産業の破壊だ。端的に言って、盗みだ
ビル・ゲイツは、米マサチューセッツ州にあるハーバード大学で退屈な日々を過ごしていた。ポール・アレンはアルテアの広告をゲイツに見せると、ゲイツはアルテアを開発したMITSのエド・ロバーツに電話をかけ、BASIC言語を売り込んだ。ゲイツはアレンのエミュレータを使い、存在しないマシンのBASICインタプリタを作ってしまう。「これから生まれるすべてのコンピュータに、遍く言葉を広めよう」とゲイツは言う。ゲイツとアレンはBASICのサポートのため、大学を休学し、アルバカーキのアパートの一室にマイクロソフトという会社を設立する。
ゲイツとアレンは、IBMが出したフロッピーディスクにアルテアを接続するディスクBASICを開発し、アルテアの売上は100万ドルを突破した。にもかかわらず、BASICの使用料は立った1万6千ドル、200本分でしかなかった。ハッカーたちがBASICの紙テープをコピーしていたのだ。ゲイツは「罪人たちは報いを受けねばならない」と宣言し、コンピュータノーツ誌に「ホビイストへの手紙」を掲載し、ホームブリューコンピュータクラブ(HCC)に乗り込む。

一方、クパチーノの新しい社屋に移ったスティーブ・ジョブズのアップル・コンピュータでは、スティーブ・ウォズニアックがアップルの業務に集中するため、ヒューレット・パッカードを退職した。だが、納品された新しいケースの品質は散々な有様だった。
1977年4月16日、サンフランシスコで開催されたウェスト・コースト・コンピュータ・フェア(WCCF)で「Apple II」がお披露目された。16色カラー、高解像度モード、カセットI/FやゲームI/O、テレビ出力や最大48Kバイトまで拡張できるメモリなど、ハードウェア・スペックで他社を圧倒していた。そこへ[ビル・ゲイツsが現れ、アップルのBASICでは浮動小数が使えるのかと聞いてきた。
ジョブズとゲイツの間で、アップルがマイクロソフトの BASIC を使うという契約が交わされる。一括買い取りで2万1千ドルという破格の契約料だが、8年後に契約を見直すという形で合意がなされた。ジョブズの予想に反し、8年後も Apple II がアップル・コンピュータを支えていたため、この契約はアップルに重い枷となってくるのだった。

スティーブズ 第3巻

表紙 スティーブズ 第3巻
著者 うめ(小沢高広・妹尾朝子)/松永肇一
出版社 小学館
サイズ コミック
発売日 2015年11月12日頃
価格 671円(税込)
ISBN 9784091873965
マイク・スコット「お前は“今の居場所”が窮屈なんじゃないか? だから苛立っている。そこから何が見える。大人になれ。風景が変わるぞ
スティーブ・ジョブズの横暴を抑えようと、マイク・マークラマイク・スコットを CEO としてアップル・コンピュータに送り込む。スコットはジョブズにビジネスの厳しさを叩き込む。コモドールの PET2001 は Apple II の6倍、タンディのTRS-80は160倍も売れているのが事実だった。そして、外注業者との信頼関係の築き方を教える。
そんなとき、ケースの金型が壊れてしまう。ジョブズが値切って一番安い金型にしたためだった。代わりの金型を作ろうにも、クパチーノ中の業者が断ってきた。[ジョブズはワシントン州シアトルのテンプレス社に乗り込み、最高の技術には金を出すと言って、納期が1日早まる毎に1千ドルのバーナスを出そうと提案する。スコットは「お前は会社のことを救った。金のことは任せろ」とジョブズに伝える。1977年12月、テンプレス社はジョブズの期待に応えてケースを供給し、Apple II の製造が再開できた。

1978年春、アップルはクパチーノ内で15倍広い新社屋に引っ越す。そんなとき、ジョブズと交際していたクリスアンは、ジョブズに影響を与えたヒッピーのリーダー、ロバート・フリーランドのコミューンに身を寄せ、娘リサを出産した。

スティーブズ 第4巻

表紙 スティーブズ 第4巻
著者 うめ/松永肇一
出版社 小学館
サイズ コミック
発売日 2016年02月12日頃
価格 671円(税込)
ISBN 9784091875693
スティーブ・ジョブズ「不遇の子‥‥か。このスティーブ・ジョブズ、確かに預かった
IBMに敗れ倒産したファーガソンデータ社長の娘アン・ファーガソンは、アップルを利用して IBMN を倒そうと人的資源部長として入社してきた。Disk II の大成功で、アップルには、インテルやヒューレット・パッカードから多くの人材が流れ込んだ。だが、大企業出身の新入社員とオリジナルメンバーの間には、次第に溝が広がっていく。
そんななか、Apple II のサポートにかかりきりのスティーブ・ウォズニアックに距離感を感じたスティーブ・ジョブズは、次世代機「Apple III」の開発会議に口を挟むようになる。

一方、ビル・ゲイツポール・アレンは、ニューヨーク州アーモンクのIBM本社を訪れ、インテルが発表した16ビットCPU「8086」向けの BASIC を開発しているとプレゼンする。IBM社内で秘密裏に低価格コンピュータを開発しているフィリップ・ドン・エストリッジは、ゲイツの話を聞いていた。
Apple IIのケースをデザインしたジェリー・マノックがアップルに入社し、ジョブズを説得。ジョブズは Apple III プロジェクトに口出ししなくなったが、別のプロジェクトに介入し、構想中のコンピュータに娘の名「Lisa」を付ける。

ゼロックスからアップルに非公開株10万株を買いたいという申し出があった。PascalをApple IIに1ヶ月で移植したビル・アトキンソンは、その噂を耳にし、ゼロックスのパロアルト研究所(PARC)を見学したいと言い出す。PARC 見学の価値に気付いたジョブズは、10万株と引き替えに、すべてを見せろと PARC に迫る。PARC 見学では、アデル・ゴールドバーグが出迎える。マウスや GUI を使ったデモにアトキンソンは感動するが、ジョブズは「まだあるはずだ。全部見せろ」と言い出す。そこへアラン・ケイが現れ、未来を知る一番いい方法は、自分で作ることだと言って意気投合する。Smalltalk とマルチウィンドウシステムを見せられたジョブズは、「大事なのは、ウィンドウがどう重なるかじゃねえ‥‥なぜ重なるか‥‥だ。現実の“紙”が重なるから‥‥だろ」と、マルチウィンドウシステムの思想を理解する。ジョブズは続ける。「普通のエンジニアなら、こう答えるだろう。『できません』と。凡庸なビジョナリなら、こう考えるだろう。『スペックの範囲でできることを』と。だが、アンタらは逃げなかった。オレがここで見たのは、その強い思いだ」。研究成果がゼロックス本社に理解されないゴールドバーグの目から涙が落ちる。
クパチーノに戻ったアトキンソンは、マッキントッシュ・プロジェクトのジェフ・ラスキンに成果を報告する――。

スティーブズ 第5巻

表紙 スティーブズ 第5巻
著者 うめ(小沢高広・妹尾朝子)/松永 肇一
出版社 小学館
サイズ コミック
発売日 2016年07月29日頃
価格 671円(税込)
ISBN 9784091878052
ビル・ゲイツ「必要なのは優れたマシンじゃない。優れたソフトだ
マイク・スコット「“血の雨”を降らせる覚悟はすでにした。ワシは、アップル・コンピュータ最高経営責任者マイク・スコットである
スティーブ・ジョブズ「海軍に入るより、海賊であれ!!」
アン・ファーガスン「あなた方は無垢すぎる。青き巨人 (IBM) はすべてを蹂躙する。圧倒的な物量で、すべてをなぎ払う
1980年8月、IBMはパーソナルコンピュータ開発計画「プロジェクトチェス」を承認する。ついに青い巨人が動き出した。ドン・エストリッジビル・ゲイツに話を伝え、OS と BASIC の開発を依頼する。

Apple III は発売されたが、市場に多くの不良品を出してしまう。
アップルのIPOを前に、マイク・スコットスティーブ・ジョブズを Lisa チームから外す。1980年12月12日、創立からわずか3年で、アップル・コンピュータはIPOを果たした。22ドルという破格の初値がついた。100万ドル以上の資産を得たものは社員だけで30人、社外を含めると300人を超えた。
だが、スコットは大規模なレイオフを実行する。そこへジョブズが現れ、「海軍に入るより、海賊であれ!!」と言い放つ。ジョブズは Macintosh プロジェクトを奪い、1981年、ジェフ・ラスキンはアップルから姿を消した。同年3月、初代 CEO マイク・スコットが辞職する。スティーブ・ウォズニアックは株で稼いだ金で自家用セスナを購入するが、操縦中に事故を起こしてしまう。

スティーブズ 第6巻

表紙 スティーブズ 第6巻
著者 うめ(小沢高広・妹尾朝子)/松永 肇一
出版社 小学館
サイズ コミック
発売日 2016年12月28日
価格 671円(税込)
ISBN 9784091894427
現実歪曲フィールドとは、強い意志の力で不確定性を消滅させ、ひとつの未来を形作っていく、そんな能力にほかならない
ジェフ・ラスキンに出会ったワシントン大学の医学生バド・トリブルは、大学を休学し、Macintoshプロジェクトに入った。彼は、SFドラマ「スタートレック」の第11、12話「タロス星の幻怪人」に着想を得て、スティーブ・ジョブズの強引な説得術を現実歪曲空間と名付けた。
ジョブズはビル・ゲイツを呼び出し、Macintosh のデモ機を見せる。世界初の汎用16ビットOS「MS-DOS」を完成させたゲイツだったが、Macintosh の GUI がソフトで動いていることに驚愕する。ジョブズはゲイツに囁く。「特別にMac用のアプリを作らせてやる。条件はたったひとつ。オレたちが決めた操作性のルールは、サードパーティも必ず守ること。もちろんマイクロソフトもだ。そうすれば、お前らでも、美しいアプリを作ることができる」。だが、負けることが何よりも嫌いなゲイツは、Windows の開発に着手する。

飛行機事故の後遺症に悩むスティーブ・ウォズニアックはアップルを離れ、大学に復学した。
1981年8月12日、ニューヨークで IBM PC が発表される。
ジョブズはドン・エストリッジをCEOに迎えようとするが断られ、マイク・マークラの紹介でペプシコのジョン・スカリーを迎えることになった。
1982年9月、Windows 開発の真っ最中だったマイクロソフトでは、ポール・アレンが病魔に冒され、引退を余儀なくされた。
1983年1月、アップルは「Lisa」発売する。一方、マイクロソフトは11月のCOMDEXで Windows を発表する。Windowsの発表と同時に、Lisaの注文がストップしてしまう。
1984年1月22日に開催された第18回スーパーボウルの第3クォータで MacintoshのCMが流れる。ジョージ・オーウェルの小説『1984年』のオマージュし、「あなたは1984年が、『1984』のようにはならない理由を知ることになる」と語るジョブズは、Macintoshに喋らせてみせる。発表と同時に発売したMacintoshは順調に売上を伸ばし、5万台という目標を最初の100日で上回った。

このとき、ゲイツは「ずいぶん派手に未来をねじ曲げたね。たださ、歪んだ世界は、元に戻ろうと反発するからねー」とつぶやく。
ゲイツの予言通り、好調だった Macintosh の売り上げは失速し、その責任を負ってジョブズはアップルを追放される。その後、3人の CEO がアップルを立て直そうとするが、いずれも失敗。10年の月日が流れ、アップルはあと数十日で倒産するところまで追い込まれていた。そんななか、ジョブズがアップルに復帰する――。

レビュー

スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック
自分の青春時代を振り返りながら、気持ちよく最後まで読むことができた。いまでこそ、わが家には Macintosh が何台も稼動しているが、私は Apple I、Apple II を知らない。
Apple I
Apple I
Apple II のキラーアプリだったRPG「Wizardry (ウィザードリィ) 」が、ビル・アトキンスが作ったPascalで動いており、そのおかげで日本のホビーパソコンに移植された Wizardry と Pascal を通じて、おぼろげながらアップル・コンピュータの存在を認識していた。
Macintosh 128K
Macintosh 128K
はじめて秋葉原で Macintosh 128K を目にしたときは、その値札に度肝を抜かれ、その機能を知るところまでいかなかった。
そんな、私が知らない時代のアップル・コンピュータの内側と、マイクロソフトや競合他社との戦いを、本書は事細かに、しかも面白おかしく描き出している。
プログラム電卓「FX-502P」
プログラム電卓「FX-502P」
Apple II発売の翌年、1978年、私はカシオの関数電卓「FX-31」を使って天体の軌道計算を行っていた。繰り返し同じ計算をしなければならない手間を省きたくて、翌年、プログラム電卓「FX-502P」に乗り換えた。本書でも触れられているHPのプログラム電卓は、値段が高すぎて手が出なかった。この時代、舶来品は何もかも高価で、国産品、しかも二重メーカー品しか買うことができなかった。
シャープ「MZ-1500」
シャープ「MZ-1500」
1984年11月、初めてパソコンを、シャープの「MZ-1500」を購入する。すでに Macintosh 128K が国内販売されていたが、前述のように手が出る価格ではなかったし、それどころか、NECや富士通のホビーパソコンも手が出なかった。MZ-1500にもBASICインタプリタが標準添付されていたが、これがマイクロソフト製ではなく、シャープ純正。
シャープ「MZ-2500」
シャープ「MZ-2500」
文法も微妙に違っており、世にある Microsoft BASIC(N88-BASICなど)のプログラムを移植するのに、頭と手を動かさなければならなかった。それは貴重な経験となった。
翌1985年、同じシャープのパソコン「MZ-2500」を購入し、パソコン通信を始める。まだ従量制の電話料金の時代、プログラムをアップロードするためにファイルを圧縮することで電話代を節約する必要を感じ、LHarc の開発を手伝った。さらに、アマチュア無線の免許を取得し、無線でパソコン通信を行った。天下の電電公社(当時)には、ウォズニアックが作ったブルーボックスは通用しないので🤣。
Performa 5220
Performa 5220
1995年の夏のボーナスで購入した Performa 5220が、初めての Macintosh だった。Windows 95 やデジカメが発売され、のちにインターネット元年と呼ばれるようになった 1995年になり、ようやく、しがないサラリーマンでも Macintosh が買える時代になったのだ。
この後、ジョブズがアップルに電撃復帰し、講演で来日したときに話を聞き、その後仕事の関係で直接会話をしたことがある。
実体験として現実歪曲空間は存在するが、それがゆえに、私は彼の下で働きたいとは思わない。私の立ち位置はビル・ゲイツに近い(ゲイツとも会話したことがある)。天体の軌道計算を行うように、私はプログラムで計算できる未来しか選択しないからだ。量子力学的な、あるいは折り畳まれた余剰次元から力を取り出すようなジョブズのビジネスにはついていけない。
とはいえ、Apple の製品はとても使いやすい。Windows 7 を動かす最適なデスクトップ機は iMac だと思った(笑)。マイクロソフトは、何度かハードウェアを出すが長続きしない。一方の Apple は、Apple M1 の開発に成功し、ついにCPUからソフトウェアまで全て自社製品で賄えるようになった。しかも、I/Oやメモリまで取り込んだSoCで、その基板は極端に小さく冷却も最小限で済む。草葉の陰でジョブズのほくそ笑む姿が目に浮かぶようだ。
(2018年5月18日 読了)

参考サイト

1984年までに発売された主なパソコン

メーカー
機種
発売時期
定価
CPU OSなど 主記憶
外部記憶
画像表示
MITS
Altair 8800
1974年12月
約400ドル~
8ビット
8080
2MHz
ROM なし 256バイト なし
IBM
IBM 5100
1976年5月
約400万円~
16ビット
IBM PALM
約1.9MHz
ROM 54Kバイト~
APL, BASIC
16~64Kバイト
別売磁気テープ
5インチ
モノクロ
Apple
Apple II
1977年4月
約30万円
8ビット
MOS6502
約3.58MHz
ROM 8Kバイト
6K BASIC
4~64Kバイト
別売FDD
280×192ドット
6色カラー
シャープ
MZ-80K
1978年11月
19万8千円
8ビット
Z80A 2MHz
ROM:
12K BASIC
20~48Kバイト
カセットテープ
320×200ドット
モノクロ
富士通
FM-8
1981年5月
21万8千円
8ビット
メイン:
68A09 1.2MHz
サブ:
6809 1.0MHz
ROM:
F-BASIC
64Kバイト
別売FDD,バブルカセット
640×200ドット
8色カラー
別売漢字ROM
IBM
IBM PC
1981年8月
34万5千円
16ビット
8088 4.77MHz
ROM:
IBM BASIC
FD:PC-DOS
16~256Kバイト
FDD
640×200ドット
モノクロ
NEC
PC-8801
1981年9月
22万8千円
8ビット
Z80A 4MHz
ROM:
N-BASIC
N88-BASIC
別売漢字ROM
64Kバイト
カセットテープ
別売FDD
640×200ドット
8色カラー
シャープ
MZ-2000
1982年7月
21万8千円
8ビット
Z80A 4MHz
ROM:
BOOT ROM
64Kバイト
カセットテープ
640×200ドット
8色カラー(オプション)
NEC
PC-9801
1982年10月
29万8千円
16ビット
8086 5MHz
ROM:
N88-BASIC
別売漢字ROM
FDD:MS-DOS
CP/M-86
OS/2
128Kバイト
別売FDD
640×400ドット
8色カラー
富士通
FM-7
1982年11月
12万6千円
8ビット
68B09 8MHz
ROM:
F-BASIC
FDD:OS-9
64Kバイト
別売FDD,バブルカセット
640×200ドット
8色カラー
別売漢字ROM
PSG 3音
シャープ
X1
1982年11月
15万5千円
8ビット
Z80A 4MHz
ROM:
BOOT ROM
カセットテープ:Hu-BASIC
64Kバイト
カセットテープ
別売FDD
640×200ドット
8色カラー(オプション)
PSG 3音
シャープ
MZ-700
1982年11月
7万9800円
8ビット
Z80A 3.6MHz
ROM:
BOOT ROM
カセットテープ:S-BASIC
64Kバイト
カセットテープ
別売FDD
40桁×25行
8色カラー
ソニー
SMC-777
1983年9月
14万8千円
8ビット
Z80A 4MHz
ROM:
777-BASIC
LOGO
FDD:CP/M
64Kバイト
FDD
640×200ドット
4色カラー
PSG 3音
シャープ
MZ-5500
1983年9月
21万8千円~
16ビット
8086 5MHz
ROM:
BOOT ROM
漢字ROM
辞書ROM
128~256Kバイト
FDD
640×400ドット
8色カラー
PSG 3音
NEC
PC-100
1983年10月
39万8千円
16ビット
8086 7MHz
ROM:
N88-BASIC
別売漢字ROM
FDD:MS-DOS
N88-DISK BASIC
128~768Kバイト
FDD
720×512ドット
16色カラー
Apple
Macintosh
1984年1月
69万8千円
16ビット
68000 8MHz
ROM:
System 1.0~
128~768Kバイト
FDD
512×342ドット
モノクロ
富士通
FM-77
1984年5月
19万8千円
8ビット
68B09 8MHz
ROM:
F-BASIC
FDD:OS-9
64~256Kバイト
FDD
640×200ドット
8色カラー
別売漢字ROM
PSG 3音
IBM
IBM PC/AT
1984年8月
--
16ビット
80286 6MHz
ROM:
IBM BASIC
FD:PC-DOS
OS/2
256~512Kバイト
FDD
640×350ドット
16色カラー
シャープ
X1 turbo
1984年11月
16万8千円~
8ビット
Z80A 4MHz
FDD:Hu-BASIC
漢字ROM
64Kバイト
FDD
640×400ドット
8色カラー
PSG 3音
富士通
FM-16β
1984年12月
35万円~
16ビット
80186 8MHz
FDD:CP/M-86K
MS-DOS
漢字ROM
512K~1Mバイト
FDD
別売HDD
640×400ドット
16色カラー

パソコンの時代

1900 1925 1950 1975 2000 2025 2050 1900 1900 1900 1900 1900 1900 2000 2000 2000 2000 2000 2000 1955 2011 スティーブ・ジョブズ 1950 スティーブ・ウォズニアック 1942 マイク・マークラ 1977 Apple II 発売 1984 Macintosh発売 1943 2005 ジェフ・ラスキン 1998 iMac発売 2007 iPhone発売 1941 2010 エド・ロバーツ 1974 「アルテア8800」発売 1955 ビル・ゲイツ 1953 2018 ポール・アレン 1956 スティーブン・バルマー 1964 プログラミング言語「BASIC」 1928 2012 ジャック・トラミエル 1950 アラン・ケイ 1981 IBM PC発売 1937 1985 ドン・エストリッジ 1969 プログラミング言語「B言語」 1969 UNIXの登場 2009 プログラミング言語「Go」 1943 ケン・トンプソン 1954 ビル・ジョイ 1953 リチャード・ストールマン 1972 プログラミング言語「C」 1942 ブライアン・カーニハン 1941 2011 デニス・リッチー 1983 プログラミング言語「C++」 1950 ビャーネ・ストロヴストルップ 1987 スクリプト言語「Perl」 1954 ラリー・ウォール 1984 マーク・ザッカーバーグ 1969 ARPANETが始動 1937 2018 ローレンス・ロバーツ 1938 アイバン・サザランド 2006 Twitterサービス開始 1976 ジャック・ドーシー 1977 スクリプト言語「AWK」 1942 ピーター・ワインバーガー 1941 アルフレッド・エイホ 1991 スクリプト言語「Python」 1956 グイド・ヴァンロッサム 1995 スクリプト言語「JavaScript」 1995 スクリプト言語「PHP」 1943 嶋正利 1978 日本語ワードプロセッサ「JW-10」発表 1938 森健一 1982 PC-9801発売 1983 ファミリーコンピュータ発売 1943 2021 上村雅之 1985 アーケードゲーム『スペースハリアー』登場 1958 鈴木裕 1965 川口博史 1987 パソコン「X68000」発売 1990 DOS/Vパソコン発表 1994 PlayStation発売 1950 久夛良木健 1995 スクリプト言語「Ruby」 1965 松本行弘 1999 「iモード」サービス開始 1999 「2ちゃんねる」開設 1976 西村博之 2000 カメラ付き携帯電話発売 2007 ボーカロイド「初音ミク」発売 1985 佐々木渉 1984 藤田咲 1966 プログラミング言語「BCPL」 1970 プログラミング言語「Pascal」 Tooltip
(この項おわり)
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