

Apple II の売上は好調だったが、1980年(昭和55年)5月に発売された Apple III の初期ロットは不良品が続き、商業的には失敗となった。
一方、1981年(昭和56年)8月に発売された IBM PC と互換機が順調に売上を延ばしており、1983年(昭和58年)には100万台を突破し、Apple II の3倍以上の販売数となった。
一方、1981年(昭和56年)8月に発売された IBM PC と互換機が順調に売上を延ばしており、1983年(昭和58年)には100万台を突破し、Apple II の3倍以上の販売数となった。

1979年(昭和54年)、ゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)を訪れたスティーブ・ジョブズらは、アラン・ケイらが構築した Alto(Smalltalk-76で動作する暫定Dynabook)にインスピレーションを得て、1983年(昭和58年)6月に Lisa を発売する。しかし、1万ドルという価格設定が高すぎて、ほとんど売れなかった。
そこで、低価格化した Macintosh を開発し、2495ドルで発売した。
そこで、低価格化した Macintosh を開発し、2495ドルで発売した。
1984年(昭和59年)1月22日、スーパーボウルの後半が始まろうとしていたとき、試合を見ていた1億人近くの前で「@1984」のコマーシャルが放映された。「1月24日、アップルコンピュータはMacintoshを発売します。小説『1984年』のようでない1984年を目にするでしょう」というメッセージで始まるCMは、視聴者を釘付けにした。このとき1回放映されたきりで、伝説として語り継がれることになる。
一体型ディスプレイはモノクロ9インチという慎ましいものだったが、解像度は72PPI(512×342ピクセル)で、その後、DTPなどの標準的な解像度となった。
この時代の世界
参考書籍
参考サイト
(この項おわり)
ディスプレイ一体型で、グラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)とマウスを標準装備し、ユーザビリティを重視した製品であり、その後に登場するパソコンに大きな影響を与えた。