西暦1641年 - 鎖国の完成

オランダ商館が出島へ
江戸幕府の鎖国政策
日本は、徳川家康 (とくがわいえやす) の積極的外交から一転し、秀忠 (ひでただ) の時代に鎖国をはじめ、家光 (いえみつ) の時代の1641年(寛永18年)、鎖国を完成させる。以降、1858年(安政4年)に日米修好通商条約を締結するまで鎖国体制は維持される。

1616年(元和2年)、明(中国)以外の船の入港を長崎の平戸 (ひらど) に限定する。
1635年(寛永12年)、幕府は鎖国令を発令し、中国やオランダなど外国船の入港を長崎のみに限定する。また、日本人の渡航と帰国を禁じる。
出島
1637年(寛永14年)に島原の乱が起き、幕府はキリスト教が幕藩体制を揺るがす元凶となりかねないと考えた。そこで、アジアで熱心な布教活動を展開するスペインやポルトガルなどのカトリック勢力を一掃するために鎖国の強化に乗り出した。

1641年(寛永18年)、オランダ商館を出島 (でじま) に移し、幕府は管理貿易を行うようになり、ここに鎖国が完成する。
オランダ東インド会社が交易を認められたのは、プロテスタント国であり、カトリックに比べて布教の必要性が高くなかったためと考えられている。
また、オランダ商館長が提出する「オランダ風説書」によって、幕府はヨーロッパの動静を把握していた。

また、朝鮮との貿易については対馬藩に、アイヌとの貿易については松前藩に、琉球国との貿易については薩摩藩に、それぞれ任せることにした。また、将軍の代替わりの際、朝鮮からの使節が江戸を訪れた。

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(この項おわり)
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