西暦1645年 - ポタラ宮殿の建設

ダライ・ラマ5世は自らを観音菩薩になぞらえる
ポタラ宮殿
1642年に即位したダライ・ラマ5世は、1645年にポタラ宮殿の建設に着手する。

その名は、観音菩薩が住むとされる補陀落 (ふだらく) のサンスクリット語名「ポタラカ」に由来する。ダライ・ラマ5世は、自らを観音菩薩になぞらえることで権力の維持を図ろうとしたのである。
ポタラ宮殿は、ダライ・ラマ5世没後の1695年に完成した。現在のポタラ宮には観世音菩薩の化身としてダライ・ラマ5世が祀られている。

ポタラ宮殿は13階建て、基部からの総高117m、建築面積1万3000m2と、単体としては世界最大級の建造物である。内部の部屋数は2,000といわれる。

1648年に建国した清を支配する満州族は、チベット仏教を信仰していた。1652年、ダライ・ラマ5世は北京を訪れ、順治帝が出迎えた。
清は、自らをモンゴル高原諸勢力の宗主国と考えていたので、清とダライ・ラマ5世が直接の外交をもったことで、モンゴル高原におけるチベットの立場が揺るぎないものになった。ダライ・ラマ5世がチベットに帰国すると、次第にモンゴル諸勢力の影響力は落ちていった。

1679年、ダライ・ラマ5世はサンギェ・ギャツォを執政に任命した。1682年、ダライ・ラマ5世は60歳で死去する。サンギェ・ギャツォは1696年になってようやくその死を発表し、翌1697年に自分が探してきた少年をダライ・ラマ6世として即位させた。

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(この項おわり)
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