西暦25年 - 後漢が建国

劉秀(光武帝)が建国
光武帝
光武帝
中国で、西暦25年、漢王朝の末裔である劉秀(のちの光武帝 (こうぶてい) )が王莽 (おうもう) の新を滅ぼして漢王朝を復興し、後漢が成立した。都は洛陽である。前漢を西漢と呼ぶのに対し、東漢ともいう。

後漢時代は若い皇帝が相次いで即位し、政治の実権は外戚が握っていた。賄賂政治が横行して、国民の不満がつのっていった。
184年、張角を首領とした黄巾の乱 (こうきんのらん) が起き、全国に広がった。これをきっかけに後漢は衰退、220年に滅亡し、三国時代へ突入する。

2世紀後半から4世紀の世界

2世紀後半、西にローマ帝国があり、東にパルティア(アルケサス朝パルティア)、クシャーナ朝、そして後漢という大国がユーラシア大陸を東西に結んでおり、交易が盛んになった。
ところが、3世紀初頭から気候が寒冷化し、疫病が流行したことなどの要因で、遊牧民族の大移動が始まる。南への移動は後漢を直撃し、220年に滅亡する。
ゲルマン民族などは西へ移動し、395年にローマ帝国は東西に分裂。オリエントの豊かな穀倉地帯を難攻不落のコンスタンティノープルで守り切った東ローマ帝国は存続するが、穀倉地帯を持たず財政基盤が弱かった西ローマ帝国は476年に滅亡してしまう。
また、確実な記録はないものの、248年に卑弥呼が死去すると日本国内も混乱したとされている。

この時代の世界

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(この項おわり)
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