西暦1244年 - 永平寺の開山

仏殿 - 永平寺
仏殿 2019年8月15日撮影
1244年に、道元 (どうげん) が、越前国(現在の福井県)に永平寺 (えいへいじ) を開く。現在、總持寺 (そうじじ) と並ぶ曹洞宗の大本山となっている。
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道元
道元
1200年、京都の公卿の久我家(村上源氏)に生まれた道元は、幼い頃から宮廷政治の醜さを憎み、12歳の時に出家し、比叡山で修行を積んだ。だが、悟りを開くまでに厳しい修行が必要であることに矛盾を感じた道元は、1223年、宋で禅を学んだ栄西 (えいさい) 禅師の弟子、明全 (みょうぜん) 和尚とともに宋へ渡った。
宋で、如浄 (にょじょう) 禅師のもとで修行した道元は、1227年に帰国。座禅の在り方を説いた「普勧坐禅儀 (ふかんざぜんぎ) 」を記した。
京都に興聖寺を建立するが、比叡山からの迫害に遭い、1243年、越前国(現在の福井県)に身を寄せ、翌1244年、傘松峰大佛寺 (さんしょうほうだいぶつじ) を建立する。これが永平寺のはじまりである。
道元の教えは、ひたすら座禅を組む只管打坐 (しかんたざ) にあるが、それだけではなく、目覚めてから就寝するまでの所作すべてが修行だという。

1247年に、執権北条時頼の招請を受けて鎌倉へ下向し、教えを説いた。鎌倉での布教は半年間程度だったとされるが、鎌倉武士の間に禅宗が受け入れられた。
1253年に死没。

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