西暦1654年 - ロシア・ポーランド戦争

ポーランド・リトアニア共和国の凋落とロシア・ツァーリ国の台頭
ロシア・ポーランド戦争
1654年7月、フメリニツキーの乱を支援すべく、ロシア・ツァーリ国アレクセイ・ミハイロヴィチは、4万のロシア軍をポーランド・リトアニア共和国との国境へ送り込んだ。スウェーデン王カール10世が北方戦争を起こしたことで一時休戦になるが、1667年にアンドルソヴォ条約が結ばれるまで戦闘は続き、ポーランド・リトアニア共和国は豊かな穀倉地帯であるウクライナの半分をロシアに割譲し、東ヨーロッパにおけ覇権国の地位をロシア・ツァーリ国に譲ることになる。

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(この項おわり)
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