
1655年、オランダの数学者で天文学者のクリスティアーン・ホイヘンスは、倍率50倍の自作の屈折望遠鏡を使って土星の環があることを発見した。

ガリレオによる土星のスケッチ
1610年、ガリレオ・ガリレイは自作の屈折望遠鏡を使って土星を観測したが、それが環であるとは気づかなかった。彼は「土星には耳がある」と書き残している。

クリスティアーン・ホイヘンス
1655年、数学と法律を学んでライデン大学を卒業したホイヘンスは、凸レンズを2枚組み合わせる接眼レンズを発明し、ガリレオのものより性能の高い屈折望遠鏡を自作した。この望遠鏡を使い、3月2日に土星の衛星タイタンを発見。さらに土星に輪があることを発見した。

ホイヘンスは、1656年12月、世界で初めて振り子時計を製作した。1675年にはヒゲゼンマイで駆動する添付時計を製作した。世界初の実用的な機械時計とされる。

ホイヘンスは、1656年12月、世界で初めて振り子時計を製作した。1675年にはヒゲゼンマイで駆動する添付時計を製作した。世界初の実用的な機械時計とされる。

ジョヴァンニ・カッシーニ
1675年、フランスの天文学者ジョヴァンニ・カッシーニは、土星の環は複数の小さな環とその間の空隙から構成されていることを明らかにした。A環とB環の間にある幅4800kmの最大の空隙は後に、カッシーニの間隙と呼ばれるようになった。

1690年12月、カッシーニが木星への天体衝突を観測していたと考えられる記録がある。カッシーニは木星に突然現れた円形の斑点をスケッチしていた。その直径は7500kmにもおよび、その変化は、1994年7月に木星に衝突したデューメーカー・レビ第9彗星によく似ていた。

1690年12月、カッシーニが木星への天体衝突を観測していたと考えられる記録がある。カッシーニは木星に突然現れた円形の斑点をスケッチしていた。その直径は7500kmにもおよび、その変化は、1994年7月に木星に衝突したデューメーカー・レビ第9彗星によく似ていた。
カッシーニの息子ジャック(1677~1756)も、その息子セザール・フランソワ(1714~1784)もパリ天文台長を務めた。また、一族はフランス全土の三角測量を行い、カッシーニの曾孫のジャン・ドミニク(1748~1845)がフランス革命の最中に、ようやくフランスの地図を完成させた。
この時代の世界
(この項おわり)