
そして1783年6月5日、故郷アノネーでリンネル製の袋を使って最初の公開飛行を行った。袋は2000メートル近くまで上昇し、約10分に渡って滞空した。

当時は暖められた空気が袋を上昇させることがわかっておらず、兄弟は物を燃やした煙の中に上昇させる成分(モンゴルフィエのガス)が含まれていると考えた。

この実験はフランス王ルイ16世の耳元に届き、9月19日には、国王の御前で実験が行われた。このときはヒツジ、アヒル、ニワトリを気球につり下げた籠に入れ、上空でも動物たちが呼吸できることが明らかになった。
この実験の成功により、兄弟はルイ16世から勲章を授与された。

1783年11月21日、初の有人飛行が行われた。
ピラトール・ド・ロジェとフランソワ・ダルランド侯爵が気球につり下げた籠に乗り、100メートルまで上昇。パリ上空の9キロの距離を25分間に渡って飛行した。

この10日後、フランス科学院のジャック・シャルルが水素気球による有人飛行に成功する。熱気球より効率的な水素気球は、間もなく気球の主流を占めるようになる。

当時は暖められた空気が袋を上昇させることがわかっておらず、兄弟は物を燃やした煙の中に上昇させる成分(モンゴルフィエのガス)が含まれていると考えた。

この実験はフランス王ルイ16世の耳元に届き、9月19日には、国王の御前で実験が行われた。このときはヒツジ、アヒル、ニワトリを気球につり下げた籠に入れ、上空でも動物たちが呼吸できることが明らかになった。
この実験の成功により、兄弟はルイ16世から勲章を授与された。

1783年11月21日、初の有人飛行が行われた。
ピラトール・ド・ロジェとフランソワ・ダルランド侯爵が気球につり下げた籠に乗り、100メートルまで上昇。パリ上空の9キロの距離を25分間に渡って飛行した。

この10日後、フランス科学院のジャック・シャルルが水素気球による有人飛行に成功する。熱気球より効率的な水素気球は、間もなく気球の主流を占めるようになる。
この時代の世界
(この項おわり)
そこで兄弟は、絹や麻布を材料にした袋を浮かび上がらせる実験を繰り返し行うようになる。