
J-SH04
2000年(平成12年)11月1日、シャープが開発した世界初のカメラ付き携帯電話「J-SH04」がJ-PHONEから発売され、1年間で300万台を売り上げ、携帯電話キャリアとして最後発だったJ-PHONEは一気に業界第2位に躍進。シャープの携帯電話事業部も息を吹き返した。翌2001年(平成13年)夏のキャンペーンで使った「写メール」というキーワードが人気となり、写メと略されるようになった。その後に登場する世界中の携帯電話、スマートフォンがカメラを内蔵するようになる。

J-SH04
バブル経済崩壊の足音が近づく中、成長が見込まれる携帯電話市場に参入しようと、1991年(平成3年)7月に、国鉄の鉄道通信インフラを引き継いだ日本テレコムを中心に、鉄鋼会社や自動車メーカーなど出資して東京デジタルホンが設立された。100人ほどの社員は、出資元からの出向だったが、電話や通信に関しては素人ばかり。しかも、繋がりやすい電波帯域は先行する携帯電話キャリアに独占されており、船出そうそう、「繋がりにくい携帯電話会社」という烙印を押された。
この頃、通話料金の高い携帯電話を敬遠していた若者たちは、ポケベルでベル友にメッセージを送っていた。加入者数が伸び悩んでいた東京デジタルホンは、この層に注目し、携帯電話で長文メールを送れるようシステムを整え「スカイウェブ」と名付け、1998年(平成10年)に対応携帯電話「J-SH01」を発売する。ところが、ハードウェア故障が見つかり、生産ラインを止める騒ぎになる。
そんななか、1999年(平成11年)2月にNTTドコモが「iモード」サービスを開始し、またも先行されてしまう。iモードは半年で100万人の契約を増やし、その反動で東京デジタルホンの解約数は急増する。

東京デジタルホン創業時にマツダから出向してきたた高尾慶二は、走行中の自動車の衛星通信技術に関する研究開発に従事していた。経営陣は、音楽配信やネットバンキングをはじめた iモードと同じサービスの開発を求めたが、高尾は、今までないものを作らなければ勝ち残れないと考えていた。
高尾は休暇中、箱根の絶景を見ながらメールを送る女性に着想を得て、携帯電話にカメラを載せることを思いついた。これまで、デジカメを別デバイスとして携帯電話に接続できる機種はあったが、さっぱり売れなかった。カメラを携帯電話に内蔵しなければ意味がない――。

そんなとき、携帯電話市場に出遅れ、80人を抱える通信事業本部の存続が危ういシャープは高尾の誘いに乗り、極限まで小さくなっていた携帯電話にカメラを内蔵する機種の開発が始まった。1997年(平成9年)のことだった。
1999年(平成11年)10月、東京デジタルホンを含むデジタルホン各社、そしてデジタルツーカー各社がJ-PHONEに社名変更した。
シャープで開発を担当した宮内裕正は、事務職として入社し、独学で研究開発職になった人物である。シャープは超小型カメラデバイスを開発していたが、それでも厚さが1cmある。宮内は、フレキシブル基板を使って必要な部品を高密度実装していくが、基板からは通信障害を起こすほどのノイズが発生する。ノイズ源を徹底的に排除し、ついに J-SH04は完成。2000年(平成12年)11月1日に店頭販売が始まる。撮影した写真は、スカイウェブを使ってメールで遅れる仕組みであることから、写メール(写メ)という言葉が定着する。

画素数は11万と、今から見れば貧弱なものであったが、右隣に自撮り用のミラーを備えている。また、携帯電話本体の重量は74グラム、連続待受時間は310時間と、携帯電話の機能・性能を損なうものではなかった。さらにFM音源16和音の着メロにも対応している。
J-SH04は1年間で300万台を売り上げ、J-PHONEは一気に業界第2位に躍進。シャープの携帯電話事業部も息を吹き返した。
NTTドコモは2001年(平成13年)に iショットを、auは2002年(平成14年)にフォトメールを開始し、カメラ内蔵携帯電話が日本から世界へ普及していく。

しかし、2001年(平成13年)10月に J-PHONEグループは英国 Vodafoneグループに吸収されてしまう。その後、ソフトバンクグループに買収され、現在に至る。一方のシャープも、2016年(平成28年)4月に台湾の鴻海精密工業の子会社となるが、通信事業本部は健在で、スマホの開発を続けている。
2014年(平成26年)に、J-SH04は国立科学博物館の未来技術遺産に登録された。
そんななか、1999年(平成11年)2月にNTTドコモが「iモード」サービスを開始し、またも先行されてしまう。iモードは半年で100万人の契約を増やし、その反動で東京デジタルホンの解約数は急増する。

東京デジタルホン創業時にマツダから出向してきたた高尾慶二は、走行中の自動車の衛星通信技術に関する研究開発に従事していた。経営陣は、音楽配信やネットバンキングをはじめた iモードと同じサービスの開発を求めたが、高尾は、今までないものを作らなければ勝ち残れないと考えていた。
高尾は休暇中、箱根の絶景を見ながらメールを送る女性に着想を得て、携帯電話にカメラを載せることを思いついた。これまで、デジカメを別デバイスとして携帯電話に接続できる機種はあったが、さっぱり売れなかった。カメラを携帯電話に内蔵しなければ意味がない――。

そんなとき、携帯電話市場に出遅れ、80人を抱える通信事業本部の存続が危ういシャープは高尾の誘いに乗り、極限まで小さくなっていた携帯電話にカメラを内蔵する機種の開発が始まった。1997年(平成9年)のことだった。
1999年(平成11年)10月、東京デジタルホンを含むデジタルホン各社、そしてデジタルツーカー各社がJ-PHONEに社名変更した。
シャープで開発を担当した宮内裕正は、事務職として入社し、独学で研究開発職になった人物である。シャープは超小型カメラデバイスを開発していたが、それでも厚さが1cmある。宮内は、フレキシブル基板を使って必要な部品を高密度実装していくが、基板からは通信障害を起こすほどのノイズが発生する。ノイズ源を徹底的に排除し、ついに J-SH04は完成。2000年(平成12年)11月1日に店頭販売が始まる。撮影した写真は、スカイウェブを使ってメールで遅れる仕組みであることから、写メール(写メ)という言葉が定着する。

画素数は11万と、今から見れば貧弱なものであったが、右隣に自撮り用のミラーを備えている。また、携帯電話本体の重量は74グラム、連続待受時間は310時間と、携帯電話の機能・性能を損なうものではなかった。さらにFM音源16和音の着メロにも対応している。
J-SH04は1年間で300万台を売り上げ、J-PHONEは一気に業界第2位に躍進。シャープの携帯電話事業部も息を吹き返した。
NTTドコモは2001年(平成13年)に iショットを、auは2002年(平成14年)にフォトメールを開始し、カメラ内蔵携帯電話が日本から世界へ普及していく。

しかし、2001年(平成13年)10月に J-PHONEグループは英国 Vodafoneグループに吸収されてしまう。その後、ソフトバンクグループに買収され、現在に至る。一方のシャープも、2016年(平成28年)4月に台湾の鴻海精密工業の子会社となるが、通信事業本部は健在で、スマホの開発を続けている。
2014年(平成26年)に、J-SH04は国立科学博物館の未来技術遺産に登録された。
参考サイト
- ケータイ新製品SHOW CASE J-SH04(シャープ):ケータイWatch
- 弱小タッグが世界を変えた~カメラ付き携帯 反骨の逆転劇~:新プロジェクトX~挑戦者たち~, NHK
- J-PHONEをおぼえていますか…ケータイ業界最後発の寄せ集めチームがガラケーで「写メ」革命を起こすまで:PRESIDENT
この時代の世界
(この項おわり)