
スーパーコンピュータ「京」

スーパーコンピュータ「京」

FACOM 230-75 APU
池田が検討していたベクトル計算機は、航空宇宙技術研究所の三好甫に受け継がれ、1977年(昭和52年)に FACOM 230-75 APUとして完成する。アメリカのスーパーコンピュータ「Cray-1」発売の翌年のことであった。
当時、CPUの処理速度は主記憶装置(メモリ)よりも遅く、メモリは常にCPUの処理結果を待ち受けるという待ち時間があった。そこで、CPUのハードウェアを計算処理に特化させ、同時に複数の計算ができるSIMD命令を実装したのがベクトル計算機である。
当時、CPUの処理速度は主記憶装置(メモリ)よりも遅く、メモリは常にCPUの処理結果を待ち受けるという待ち時間があった。そこで、CPUのハードウェアを計算処理に特化させ、同時に複数の計算ができるSIMD命令を実装したのがベクトル計算機である。

NEC SX-2
国の支援を受けていたこともあり、国産ベクトル計算機は急速に性能を向上させ、1982年(昭和57年)から1983年にかけ、日本初のスーパーコンピュータである富士通「FACOM VP-100」、日立製作所「HITAC S-810」、NEC「SX-1/SX-2」を誕生させた。SX-2は、メインフレーム用の ACOS をベースにしたOS上で、FORTRAN 77にベクトル演算ライブラリを追加した環境でプログラムの開発を行い、演算速度はGFLOPSを超えた。

NEC SX-3

バブル期の東京証券取引所
国産スーパーコンピュータは海外に輸出されるようになり、これに脅威を感じたアメリカは、1996年(平成8年)にNEC SXシリーズへのスーパー301条を発動し、日米スパコン貿易摩擦が起きる。
間もなくバブル経済が崩壊し、各社とも、莫大な開発予算がかかるスーパーコンピュータ開発事業からの撤退を模索し始める。
間もなくバブル経済が崩壊し、各社とも、莫大な開発予算がかかるスーパーコンピュータ開発事業からの撤退を模索し始める。

地球シュミュレータ
そんな中の2002年(平成14年)3月、SXシリーズの流れを汲む地球シュミュレータが稼動開始し、ピーク性能40.96TFLOPSで5回連続して世界一の座に君臨した。
数値風洞や地球シュミュレータの開発を主導した三好甫は、その本稼働を見ることなく2001年(平成13年)11月に他界する。
数値風洞や地球シュミュレータの開発を主導した三好甫は、その本稼働を見ることなく2001年(平成13年)11月に他界する。

IBM Blue Gene
2005年(平成17年)、文部科学省と理化学研究所は、地球シュミュレータの後継スーパーコンピュータ・プロジェクトを立ち上げる。しかし、バブル経済崩壊の影響は深刻で、長い間、ベクトル計算機を主導してきたメーカーのNECと日立製作所が撤退し、富士通だけが残った。また、世界的にもベクトル計算機に代わって、IBMのスーパーコンピュータ「Blue Gene」のようにスカラ計算機を大量に並列稼働させるアーキテクチャが有力になりつつあった。

SPARC64 VIIIfx
富士通は、井上愛一郎を開発責任者とする400人のメンバで次世代スーパーコンピュータの開発に着手した。
CPU開発担当だった浅川岳夫と吉田利雄は「性能3倍、電力消費量半分」という目標に呆然とする中、スパコン・プロジェクトの経験豊富な追永勇次は「エンジニアの“責任とをとる”って何かと言ったら、責任をとって辞めるとかそんなんじゃなくて、最後までやりにくことだ」と叱咤激励した。こうしてCPU「SPARC64 VIIIfx」が誕生した。
CPU開発担当だった浅川岳夫と吉田利雄は「性能3倍、電力消費量半分」という目標に呆然とする中、スパコン・プロジェクトの経験豊富な追永勇次は「エンジニアの“責任とをとる”って何かと言ったら、責任をとって辞めるとかそんなんじゃなくて、最後までやりにくことだ」と叱咤激励した。こうしてCPU「SPARC64 VIIIfx」が誕生した。

Tofu 概念図

京のシステムボード
2009年(平成21年)11月の事業仕分けで民主党の蓮舫・内閣府特命担当大臣が「一番じゃなきゃダメですか?」と発言しプロジェクトが凍結しかけたが、12月に予算復活。開発中の2011年(平成23年)6月と11月にスーパーコンピュータの世界ランキングである「TOP500」で立て続けに世界一位を獲得した。

スーパーコンピュータ「京」
スーパーコンピュータ「京」は、総開発費1,120億円を投じ、2012年(平成24年)6月に完成、9月に共用稼働を開始した。完成直前に米タイタンに1位の座を奪われるが、より汎用的な性能を評価する「HPCチャレンジ賞」で5年連続1位(うち2年は4部門独占)を獲得した。

スーパーコンピュータ「富岳」
2019年(令和元年)8月30日にシャットダウンし、2021年(令和3年)3月に性能が100倍アップした次世代の「富岳」に置き換えられた。
この時代の世界
参考サイト
- スパコン「京」生んだ、富士通・池田敏雄氏のDNA:日本経済新聞, 2011年(平成23年)10月18日
- 富士通のプロセッサ開発の歴史:富士通
(この項おわり)
1972年(昭和47年)11月、富士通と日立製作所は、世界ではじめて全面的にLSIを採用した大型コンピュータ(メインフレーム)「FACOM M-190」を発表する。開発チームを率いた池田敏雄は、発表直前にくも膜下出血で他界する。