
日本のバブル崩壊は1991年(平成3年)に起きたとされるが、実際には、1990年代前半に徐々に崩壊していったという方が正確だろう。ここでは、国民生活に深刻な影を落としはじめた1993年(平成5年)をバブル崩壊の年としておく。
投機により、不動産や株式といった資産が高騰し、実体経済の成長からかけ離れることをバブル経済と呼ぶ。急速な成長は、投機でも支えきれなくなり、やがて崩壊する。
日本の場合、1985年(昭和60年)9月のプラザ合意により急速な円高が進み、輸出産業は国際競争力を失い、製造業の海外進出が加速した。加えて、1988年(昭和63年)9月19日昭和天皇が吐血し、翌1989年(平成元年)2月24日の大喪の礼まで自粛ムードが広がり、急速な景気後退が進んだ。
大喪の礼が終わると、政府は内需拡大を推し進め、所得税の最高税率を引き下げた。このことが富裕層の手取り収入を倍加し、不動産業が積極的にテレビ広告を出し、不動産価格の急騰をまねく。地上げが横行し、中小企業は借り入れをして多角経営に乗り出し、中産階級までもが借金をして株や不動産を買い漁った。

結果的に不動産価格も株価も急騰し、1990年(平成2年)3月27日、土地バブル対策のために大蔵省(当時)は「土地関連融資の抑制について」(いわゆる総量規制)を通達せざるを得なかった。同時に日本銀行が引き締めに動いたことが、バブル崩壊の引き金となったと考えられている。
だが、地価が下がるには少し時間を要した。東京、大阪の大都市圏の地価下落は1990年(平成2年)秋に始まり、全国の公示価格の低下が見られるようになったのは1993年(平成5年)に入ってからだった。

一方、東証株価指数、日経平均株価は、1989年(平成元年)12月に、終値の最高値2,898.47、38,915円87銭をつけたのち暴落に転じ、1993年(平成5年)12月にはピーク時の6割に落ち込んだ。
企業も業績不振が続き、債務、設備、雇用という3つの「過剰」が経営の圧迫していた。1995年(平成7年)には失業率が3%を超え、経済的理由による自殺者が急増した。

護送船団方式で守られていたはずの金融機関にも影響が波及し、2003年度までに181の銀行が倒産した。日本四大証券会社を担った山一證券が、1997年(平成9年)11月24日に自主廃業を発表したことがニュースになった。
ただ、低いながらも名目GDPはプラスの状態が続いていた。1997年(平成9年)4月に消費税率が3%から5%に上がり、7月にタイのバーツ暴落に始まるアジア通貨危機に見舞われ、ついに1998年度の実質GDPはマイナス0.5%に落ち込んだ。完全失業率は4%を超え、本格的なデフレーションに突入する。
日本の場合、1985年(昭和60年)9月のプラザ合意により急速な円高が進み、輸出産業は国際競争力を失い、製造業の海外進出が加速した。加えて、1988年(昭和63年)9月19日昭和天皇が吐血し、翌1989年(平成元年)2月24日の大喪の礼まで自粛ムードが広がり、急速な景気後退が進んだ。
大喪の礼が終わると、政府は内需拡大を推し進め、所得税の最高税率を引き下げた。このことが富裕層の手取り収入を倍加し、不動産業が積極的にテレビ広告を出し、不動産価格の急騰をまねく。地上げが横行し、中小企業は借り入れをして多角経営に乗り出し、中産階級までもが借金をして株や不動産を買い漁った。

結果的に不動産価格も株価も急騰し、1990年(平成2年)3月27日、土地バブル対策のために大蔵省(当時)は「土地関連融資の抑制について」(いわゆる総量規制)を通達せざるを得なかった。同時に日本銀行が引き締めに動いたことが、バブル崩壊の引き金となったと考えられている。
だが、地価が下がるには少し時間を要した。東京、大阪の大都市圏の地価下落は1990年(平成2年)秋に始まり、全国の公示価格の低下が見られるようになったのは1993年(平成5年)に入ってからだった。

一方、東証株価指数、日経平均株価は、1989年(平成元年)12月に、終値の最高値2,898.47、38,915円87銭をつけたのち暴落に転じ、1993年(平成5年)12月にはピーク時の6割に落ち込んだ。
企業も業績不振が続き、債務、設備、雇用という3つの「過剰」が経営の圧迫していた。1995年(平成7年)には失業率が3%を超え、経済的理由による自殺者が急増した。

護送船団方式で守られていたはずの金融機関にも影響が波及し、2003年度までに181の銀行が倒産した。日本四大証券会社を担った山一證券が、1997年(平成9年)11月24日に自主廃業を発表したことがニュースになった。
ただ、低いながらも名目GDPはプラスの状態が続いていた。1997年(平成9年)4月に消費税率が3%から5%に上がり、7月にタイのバーツ暴落に始まるアジア通貨危機に見舞われ、ついに1998年度の実質GDPはマイナス0.5%に落ち込んだ。完全失業率は4%を超え、本格的なデフレーションに突入する。
この時代の世界
(この項おわり)