
日本IBM PS/55 5535-S
1984年(昭和59年)10月にIBMは IBM JX を、アジア太平洋地区で販売開始した。それまで販売していたマルチステーション5550は高価でビジネス顧客がターゲットだったが、家庭用PCとしてJXを用意した。しかし、日本国内ではNECの PC-9801市場を崩すことができなかった。これは、JXが8086ではなく8088というPC-9801に劣るCPUを採用したことが大きな原因だった。
1987年(昭和62年)に、JX用の PC DOS の開発者だった羽鳥正彦は、IBM大和開発研究所で仕事の空いた時間に DOS/V の開発に着手した。この前年、東芝は ダイナブック J-3100SSを発売し、マイクロソフトはPC/AT互換機にハードウェア的に日本語機能を追加する AXアーキテクチャーを発表したところだった。
羽鳥らはIBM単独では98市場を崩せないと考え、PS/55のアーキテクチャーを公開し、PC/AT互換機で DOS/V を動くようにした。

DOS/V はPC/AT互換機で動作するOSの一部として、日本語表示をソフトウェアのみで実現した。第一弾として、32ビットCPUのi386SXを搭載したラップトップPC「PS/55 5535-S」に IBM DOS バージョンJ4.0/V として搭載した。
パソコン通信を介して DOS/V は話題となり、翌1991年(平成3年)3月には標準化・推進組織であるPCオープン・アーキテクチャー推進協議会(OADG)が設立された。
マイクロソフトも NECの寡占市場を崩すべく、水面下で日本IBMからDOS/Vモジュールが提供され、紆余曲折があったものの、AXアーキテクチャーを捨て、MS-DOS の DOS/V化を進め、1993年(平成5年)3月に MS-DOS 5.0/V をリリースする。
こうして、1991年(平成3年)から1993年にかけて、NECを除く国産各社が DOS/V に移行していった。1992年(平成4年)10月には、コンパックがDOS/VベースのAT互換機を12万8千円で販売するというコンパックショックに見舞われ、パソコンの価格が一気に安くなった。

こうして98の市場は崩されていくのだが、NECは最後まで DOS/V に与せずPC-9821で Windows 95をサポートするなど98シリーズの延命を図った。だが、ついに1997年(平成9年)に事実上のPC/AT互換機である PC-98NXシリーズを発売し、98シリーズの系譜は途絶えることになる。
1987年(昭和62年)に、JX用の PC DOS の開発者だった羽鳥正彦は、IBM大和開発研究所で仕事の空いた時間に DOS/V の開発に着手した。この前年、東芝は ダイナブック J-3100SSを発売し、マイクロソフトはPC/AT互換機にハードウェア的に日本語機能を追加する AXアーキテクチャーを発表したところだった。
羽鳥らはIBM単独では98市場を崩せないと考え、PS/55のアーキテクチャーを公開し、PC/AT互換機で DOS/V を動くようにした。

DOS/V はPC/AT互換機で動作するOSの一部として、日本語表示をソフトウェアのみで実現した。第一弾として、32ビットCPUのi386SXを搭載したラップトップPC「PS/55 5535-S」に IBM DOS バージョンJ4.0/V として搭載した。
パソコン通信を介して DOS/V は話題となり、翌1991年(平成3年)3月には標準化・推進組織であるPCオープン・アーキテクチャー推進協議会(OADG)が設立された。
マイクロソフトも NECの寡占市場を崩すべく、水面下で日本IBMからDOS/Vモジュールが提供され、紆余曲折があったものの、AXアーキテクチャーを捨て、MS-DOS の DOS/V化を進め、1993年(平成5年)3月に MS-DOS 5.0/V をリリースする。
こうして、1991年(平成3年)から1993年にかけて、NECを除く国産各社が DOS/V に移行していった。1992年(平成4年)10月には、コンパックがDOS/VベースのAT互換機を12万8千円で販売するというコンパックショックに見舞われ、パソコンの価格が一気に安くなった。

こうして98の市場は崩されていくのだが、NECは最後まで DOS/V に与せずPC-9821で Windows 95をサポートするなど98シリーズの延命を図った。だが、ついに1997年(平成9年)に事実上のPC/AT互換機である PC-98NXシリーズを発売し、98シリーズの系譜は途絶えることになる。
国内各社の DOS/Vパソコン
30年以上を経た現在も生き残っているブランドもあり、国民機としての98シリーズの寿命がいかに短かったかを感じさせられる。
メーカー | ブランド | 発売開始 | 備 考 |
---|---|---|---|
三洋電機 | AXAGE | 1991年9月11日 | 日本で最初に日本語MS-DOS 5.0を搭載 |
東芝 | DynaBook V | 1991年10月17日 | DynaBookを640ドット表示にした |
日立製作所 | FLORA | 1991年 | 汎用機のネットワーク端末として登場 2007年に生産終了 |
富士通 | FMV | 1993年10月18日 | 企業向けワークステーションとしてスタート |
松下電器 | Panacom V | 1993年 | 最初はデスクトップPC ノートPCのPRONOTEシリーズは後にLet's noteというブランド名に |
セイコーエプソン | Endeavor AT | 1994年10月 | 98互換路線を脱出 |
シャープ | Mebius | 1995年 | 2009年に生産終了 |
NEC | PC98-NX | 1997年10月23日 | 98シリーズとは別物 |
ソニー | VAIO | 1997年7月 | 最初はデスクトップPC |
参考サイト
参考サイト
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僕らのパソコン30年史 | ||
著者 | SE編集部 | ||
出版社 | 翔泳社 | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 2010年05月 | ||
価格 | 1,980円(税込) | ||
ISBN | 9784798121895 | ||
30年以上を通して変化したパソコンを、写真を多用し世相にも触れながら、わかりやすく解説。第1部を年代ごとのトピックの解説にあて、当時の開発者や関係者への「証言(ターニングポイント)」を盛り込み、開発秘話などを明かしてもらう。第2部ではPCアーキテクチャ、OS、パソコンの聖地アキハバラ、「雑誌」の変遷など、テーマごとにまとめた。 | |||
この時代の世界
(この項おわり)
PS/55 5535-Sのキーボード配列は106キーと呼ばれ、後に日本語フルキーの標準配列となる。