『鉄道と政治』――政治の力で鉄道は曲がる

佐藤信之=著
表紙 鉄道と政治
著者 佐藤 信之
出版社 中央公論新社
サイズ 新書
発売日 2021年04月20日頃
価格 1,034円(税込)
ISBN 9784121026408
戦後の利益誘導政策を完成した政治家の代表は田中角栄である。(141 ページ)

概要

新橋駅汐留口
新橋駅汐留口
東海道新幹線の名古屋~京都駅間、上越新幹線の越後湯沢~新潟駅間など、わが家では「政治の力で鉄道は曲がる」と呼んできた。本書は、そのものズバリのタイトル。交通政策論が専門分野の佐藤信之さんの著作だ。
万葉線
万葉線
明治以降の鉄道の歴史に始まり、政治と地方の動きを時系列に沿って詳細かつ具体的に分析している。さらに、21 世紀の潮流として、富山ライトレールをはじめとする地方公共交通の発展について紹介し、東日本大震災や新型コロナ・ウイルス感染拡大の影響にも触れている。
全体を通して、時の政治家と鉄道の関係がよく理解できた。

レビュー

L0系リニア新幹線
L0系リニア新幹線
第1部では、スーパー特急の採用でまとまったはずの長崎新幹線が、なぜフル規格に変更になり、なぜ佐賀県は反対しているのか。また、中央リニア新幹線工事について、一度は協議の席に着いた JR 東海と静岡県が、なぜ、互いに不信感を募らせるようになったのか。そのあたりの経緯を、時系列に並べて淡々と書かれている。
山梨リニア実験線
山梨リニア実験線
そこには、鉄道会社と地元とのコミュニケーション不足はもちろんのことだが、それらの声を押さえ込んで計画を強引に進めようとする、昭和の時代の中央の剛腕政治家がいなくなったためではないだろうか。
日本初の鉄道
日本初の鉄道
第2部では、明治維新にまで遡り、政治と鉄道の歴史について解説が始まる。
富国強兵策をとった明治政府は、東京への中央集権化を進め、軍需物資や兵士の移動を行うために、輸送路としての鉄道を欲していた。
三島通庸
三島通庸
しかし、予算は軍事優先で、鉄道に回すほどない。そこで、国が鉄道を建設・運営する手法を発案し、民間資金を活用する形で日本鉄道を設立させた。
各地の代表者は東京に集まり「鉄道期成同盟会」を結成し、政党政治が後ろ盾となる形で、地方からの陳情を受けて国が動く公共事業の決定メカニズムが形づくられた。とくに立憲政友会は、党勢拡大のために地方での公共事業に力を入れ、これがのちの保守政党による利益誘導政策につながる。
明治初期、三島通庸 (みしま みちつね) は、山形県や福島県の県令として赴任し、反対派を押し切り強力に鉄道建設を推し進め「鬼県令」の異名で呼ばれた。
有吉忠一
有吉忠一
三島よりやや遅れて、千葉県、宮崎県、神奈川県、兵庫県の県知事を歴任した有吉忠一 (ありよし ちゅういち) は、大きな抵抗もなく鉄道建設を成功させた。三島の時代には自由民権運動が最高潮を迎えていたが、有吉の時代になると、帝国議会が開設され、政党政治が定着してきたというのが大きな違いであった。

交通インフラは、地方では国の支援のもとで行政が中心になって整備されたケースが多かったが、東京や大阪といった大都市では民間の力が中心になっていた。寺社仏閣への参拝は都会の庶民のささやかな娯楽であり、参拝客は確実な需要であったことから、地域鉄道は神社仏閣を目的地に建設された。
鉄道省
鉄道省
戦前の二大政党の立憲政友会は、利益誘導政策で地方の地主層の支持を獲得した。もう一方の立憲民政党は、都市の企業経営者の支持を受けていた。
1920 年 5 月、鉄道行政は内閣直属の鉄道院から鉄道省に格上げされた。第1 次世界大戦の好景気を受け、全国から鉄道・軌道の出願が相次ぎ、行政組織の改革と体制の強化が必要になったためだった。
鉄道計画は、政党にとって票獲得の重要な手段となったが、内閣が代わるごとに鉄道計画が変わる不安定な状況だった。
大船渡線
大船渡線
ここで、「政治の力で鉄道は曲がる」事例として大船渡線が挙げられている。その曲がりくねった様子から鍋蔓 (なべつる) 線と呼ばれほどだが、営業的には成功を収めている。
堤康次郎
堤康次郎
1919 年 8 月、地方鉄道法が施行された。この頃には幹線がほぼ完成しており、新線建設はローカル線へと移っていた。そこで、明治時代の私設鉄道法と軽便鉄道法を統合し、申請には国会の審議が必要となった。地方鉄道法は 1987 年まで生き続けることになる。
戦前の立憲民政党の代議士のなかから代表的な鉄道経営者として、根津嘉一郎堤康次郎の 2 人が挙げられている。2 人とも政治家になることを夢見て東京に出てきて、まず実業の世界で実績を上げ、その後に政治家として大成した。
1930 年 7 月、鉄道担当官庁の諮問会議として 1892 年 6 月に発足した鉄道会議が体制を大きく変えた。この改正で、政治家による選挙地盤への利益誘導の道が広がった。
五島慶太
五島慶太
戦時体制が色濃くなった 1938 年 4 月、陸上交通事業調整法が公布され、東京、大阪、福岡などの大都市圏の鉄道事業が統合化されることになる。東京では五島慶太が活躍し、まず、小田原急行鉄道、京浜電気鉄道を統合し、大東急を成立させる。

公務員は全体の奉仕者であることから労働基本権が制約されていたが、戦後、ポツダム宣言の民主化要求のもとで、国鉄労組に争議権を認める方法が検討された。だが、アメリカの占領方針が反共に変化していくなかで、その方針も変わってゆき、下山事件(1949 年 7 月 5 日)、三鷹事件(7 月 5 日)、松川事件(8 月 17 日)などの奇妙な事件が頻発した。
戦後の政治家も根津や堤のように、上京し、選挙戦を戦う資金を貯めるために事業を立ち上げたり、投資を行い、衆議院議員に立候補した。このため、衆議院議員に企業経営者が多く、鉄道経営者には国会議員が多かった。
東海道新幹線開業
東海道新幹線開業
東京オリンピックを目指して東海道新幹線の建設工事が始まった。名古屋~米原間を最短ルートで建設するため、岐阜県の自民党の重鎮、大野伴睦副総裁が調整に入り、その功績をにより岐阜羽島駅の駅前に大野伴睦の銅像が立った。冒頭に述べたとおり、「政治の力で鉄道は曲がる」(この場合は「真っ直ぐになる」だが)。
田中角栄像(浦佐駅)
田中角栄像(浦佐駅)
東海道新幹線の成功は、新幹線神話を創った。国会議員は、選挙に当選することが目的で新線建設の活動を支援した。1964 年 3 月、特殊法人日本建設鉄道公団が設立され、国鉄路線の建設を推し進めた。
そして、戦後の利益誘導政策を完成した政治家、田中角栄が登場する。田中は中越自動車の取得を通じて東急に接近し、全国に工業地帯を開発し、人の移動に新幹線網、物の移動に高速道路網を建設する『日本列島改造論』をぶち上げ、ついに総理にまで上り詰めた。しかし不運なことに、第四次中東戦争からオイルショックが発生し、景気は大きく後退、総理在任 2 年 5 ヵ月で退陣することとなる。
上越新幹線は新潟の田中角栄、東北新幹線は岩手の鈴木善幸、成田新幹線は千葉の川島正次郎の地盤を含んでおり、この 3路線が政治路線であることは明白である。
国鉄ストライキ(1964年)
国鉄ストライキ(1964年)
国鉄は、東海道新幹線が開業した 1964 年に赤字に転落した。もともと帰還兵士への職を斡旋し、労働運動を認めるために正式な公務員ではなくし、さらに道路や空港と異なり特別会計が用意されなかった。それでも政治化は採算度外視で鉄道建設を進めた。国鉄の赤字が膨らむのは当然の結果であった。
国鉄ストライキ(1970年)
国鉄ストライキ(1970年)
佐藤さんは「国鉄問題は、実は、労働問題であった」(186 ページ)と指摘する。国労や動労のゼネストに加え、サボタージュがあったことは私も記憶しており、通学で大いに迷惑を被った。
寝台特急「北斗星」
寝台特急「北斗星」
1981 年に設置された第2 次臨調は、国鉄再建が目玉となった。結局、国鉄は分割・民営化され、1987 年 4 月、JR6社と日本貨物鉄道が発足した。JR ブームと、タイミング良く青函トンネルと本四架橋が完成し、好調な船出となった。
長野新幹線「あさま」
長野新幹線「あさま」
新幹線の新規工事は凍結されていたが、長野オリンピックの開催に間に合わせるため、長野新幹線は先行して建設が進められ、1997 年に開業した。
小渕恵三
小渕恵三
1996 年に発足した橋本内閣は、「小さな政府」を目指した行財政改革が進められた。利益誘導政策を進めてきた自民党の方針を変革しようとしたものだが、結果は裏目に出て、1998 年の参議院選挙で大敗を喫する。小渕内閣に交替するも国会運営の主導権を握ることができず、自由党や公明党との連立内閣となった。
小沢一郎
小沢一郎
民主党の小沢一郎は、「子ども手当」を使った利益誘導政策を選挙対策として利用し、民主党政権を発足させる。わが国の民主政治には利益誘導が欠かせないのだろうか。
民主党政権は、LRT 整備に積極的であったり、そうでなかったりと、地域によって方針が一定していなかった。また、高速道路料金を低価格化した結果、鉄道利用者が大きく減少する地域が出てしまった。
富山ライトレール「ポートラム」
富山ライトレール「ポートラム」
第3部では、21 世紀の地方と中央の新たな流れを概観する。
21 世紀に入り、国は、行政改革と規制緩和により小さな政府を目指し、地方への権限移譲を進めてきた。地方は、公共交通政策を進めるという負担が増した一方、創意工夫による特長を出すようになっていった。コンパクトシティを目指した富山ライトレールの成功や、福井市の鉄道近代化が代表例である。
中央線高架化工事(2007年)
中央線高架化工事(2007年)
佐藤さんは「交通は日常的な問題であり、アプローチは容易なものの、実は奥が深い、専門的知識が必要な分野」(295 ページ)と指摘したうえで、「単なる利害調整ではなく、本質的な議論を展開して、真に国民の幸福につながる交通政策を行ってくれる政治家が増えることに期待する」と結ぶ。
(2021 年 5 月 22 日 読了)

参考サイト

(この項おわり)
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