西暦1675年 - グリニッジ天文台創設/スピノザ『エチカ』

大航海時代を支える

グリニッジ天文台創設

グリニッジ天文台
グリニッジ天文台
15世紀後半からはじまった大航海時代では、安全に航行するために天体観測が不可欠であった。そこでイングランド国王チャールズ2世、航海の支援を目的として、ロンドンに王立グリニッジ天文台(Royal Greenwich Observatory)の建設をはじめた。
天文台は1675年に完成し、初代天文台長にジョン・フラムスティードが就任した。
1884年には、天文台の大子午環が経度の原点に決められた。

長年にわたり経度および時刻の基準(グリニッジ標準時)点として観測を行ってきたが、1990年にはケンブリッジに移転し、1998年10月に天文台としての機能を終えた。現在は博物館となっている。

スピノザ『エチカ』

スピノザ
スピノザ
オランダの哲学者スピノザは、1662年から執筆していた哲学書『エチカ』を完成させる。スピノザは、この世界に存在するものは全て神の一部であるという汎神論を唱え、本書では幾何学の体裁をとり、そのことを証明していく。
だが、1670年に出版した『神学・政治論』が前年に禁書になってしまったため、本書の刊行を断念した。スピノザの死後、1677年、友人らによって出版された遺稿集に収められた。
1632年、スピノザはオランダ・アムステルダムの裕福のユダヤ人貿易商の家庭に生まれた。幼い頃から学問の才能をみせ、ユダヤ教団の学校でヘブライ語と聖典を学び、カバラの神秘思想にも接した。しかし、デカルトなどの西欧思想にアタ向き、23歳の時、ユダヤ教団から破門されてしまう。
その後、オランダ各地を転々とするなか、レンズ磨きをしながら思索にふけり、執筆活動を続けた。彼が磨いたレンズは精度が高く、土星の輪を発見したホイヘンスや、画家フェルメールの手にも渡ったと伝えられている。

スピノザの哲学は、生涯一貫して、神すなわち自然 (deus sive natura) という立場をとっていた。万物は、精神も物体も全てが神の現れという汎神論であり、決定論者でもあった。
この哲学は、ユダヤ教にしてもキリスト教にしても受け容れがたいものであり、スピノザは無神論者として排斥された。

スピノザは次のような言葉を残している。
  • 運命とは受け入れるべきものではない。それは自ら選び創り出すものだ。
  • 自分にはできないと思うたいていの出来事は、できないのではなく、本当はやりたくないだけなのだ。
  • ありあまるほど自由な時間のある人間は、たいてい悪いことを考えるものである。
  • 平和とは戦争がない状態をいうのではない。平和な状態とは徳のあることであり、心の安定であり、親切な行為であり、信頼と正義があることである。
スピノザは、当時常識とされていた「世界は神によって創られた」という考え方にとらわれず、自分の考えを貫いた。結果として、構造主義以後の現代思想に大きな影響を与えることになった。同じユダヤ人であるアインシュタインも、スピノザを尊敬し、汎神論・決定論の立場で、自らの相対性理論をとらえていた。

参考書籍

表紙 エティカ
著者 バルーフ・ド・スピノザ/工藤喜作
出版社 中央公論新社
サイズ 新書
発売日 2007年01月
価格 2,090円(税込)
ISBN 9784121600943
定理と公理から、神と人間精神との本性を演繹的に論証した汎神論体系。
 

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