西暦1666年 - 万有引力の法則/ロンドン大火

近代力学の創始者

万有引力の法則

アイザック・ニュートン
アイザック・ニュートン
イギリスの科学者アイザック・ニュートンは、ケプラーの法則に、運動方程式を適用することで、「2つの物体の間には、物体の質量に比例し、2物体間の距離の2乗に反比例する引力が作用する」という逆二乗則万有引力の法則)を発見する。
1687年に出版した『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)において詳しく述べられている。
よく、「リンゴが木から落ちるのを見て、ニュートンは万有引力を発見した」と言われるが、ニュートンは重力を発見したわけではない。ニュートンの業績は、太陽系の惑星の運動と、地球上の物が落下する現象が、同じ法則(万有引力の法則)によって支配されている事を提示したことである。

ニュートンは狂信的なキリスト教徒でもあり、終末論を研究していた。ニュートンにとっての物理学は、神の創った法則を解明することだった。

プリンキピア』出版後は錬金術に関心を寄せた。
ケンブリッジでの学級生活に区切りをつけたニュートンは、1696年、大蔵大臣モンタギューに招聘され、造幣局幹事に就任した。当時、組織的な贋金作りが横行しており、ニュートンは異様なまでの集中力をもって犯罪組織と対峙し、裁判にかけ、死刑台に送っていった。その結果、贋金は激減したという。
この功績で1699年には造幣局長官に昇進し、生涯この職を務めた。
また、王立協会会長に上り詰め、1701年には国会議員、1705年にアン女王からナイトの爵位を授けられた。

自己顕示欲の強かったニュートンは、晩年、肖像画の作成に力を入れた。身分制度が厳然と存在していた時代でもあり、ナイトの紋章を描かせることには並々ならぬ関心を払ったという。
1727年、ニュートンが他界したとき、イギリスに滞在していたフランスの啓蒙思想家ヴォルテールは「彼は生前同国人から尊敬されてきたが、葬られるときもまるで臣下に恩恵を施した王のようであった」(『哲学書簡』,1734年)と記している。

ロンドン大火

ロンドン大火
ロンドン大火
1666年9月2日、ロンドンの中心街シティにあるプディング通りのパン屋から出火し、おりからの東風にあおられて燃え広がり、7日までにシティの5分の4を焼きつくしたロンドン大火が発生する。
当時、ロンドン市内の家屋のほとんどが木造であり、街路も狭かったため、火災が広がった。被災家屋は1万3000戸、セント・ポール大聖堂をはじめ89の教区教会、ギルド・ホールなどの公共施設も被災したが、記録されている死者は6名と、人命の損失は軽微だった。

復興にあたって建築家クリストファー・レンが動員され、木造建築が禁止され、家屋は全て煉瓦造または石造とされた。また道路の幅員についても規定された。これが現在のロンドンの町並みとなった。
1677年、復興を記念してレンとフックの設計により、高さ62メートルのロンドン大火記念塔が地下鉄モニュメント駅近くに建てられた。

この頃、ロンドンではペストが大流行しており、ケンブリッジ大学も閉鎖となった。そのため、ニュートンは故郷ウールスソープへと戻り、「万有引力の法則」の着想を得たのであるが、ロンドン大火によってペスト菌が死滅し、感染者も減った。
また、復興に尽力した医師で経済学者のニコラス・バーボンは火災保険の必要性を主張し、1681年、世界初の火災保険をはじめる。また、ロンドン初の消防隊も組織した。

この時代の世界

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参考書籍

表紙 プリンキピアを読む
著者 和田 純夫
出版社 講談社
サイズ 新書
発売日 2009年05月21日頃
価格 1,210円(税込)
ISBN 9784062576383
ニュートンが17世紀に著した『プリンキピア』は、運動の法則や万有引力を基に自然界の仕組みを明らかにし、近代科学の出発点となった。図形を使った幾何学的な手法で力学の様々な疑問を証明したニュートンのアプローチは、現代人が読んでも素晴らしく、その天才ぶりに驚嘆させられることだろう。科学史上、最も有名な本のひとつである『プリンキピア』の醍醐味を味わう1冊。
 
表紙 錬金術師ニュートン
著者 ベティ・ジョー・ティーター・ドブズ/大谷隆昶
出版社 みすず書房
サイズ 単行本
発売日 2000年06月
価格 8,250円(税込)
ISBN 9784622041160
ニュートンが遺した錬金術文書は、実験と文献渉猟に費された長大な時間を物語る。『プリンキピア』の著者がなぜ?数学、光学から神学まで、すべての探究を統合する画期的ニュートン像の提示。
 
(この項おわり)
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