西暦1381年 - ワット・タイラーの乱

イギリスの農民一揆
ワット・タイラーの反乱軍と会見するリチャード2世
ワット・タイラーの反乱軍と会見するリチャード2世
1381年、イングランドで重税と農奴制に苦しむ農民を組織したワット・タイラーは、農民一揆を起こし、ロンドンで国王リチャード2世に迫った。これをワット・タイラーの乱と呼ぶ。
1338年にはじまった百年戦争中が長期化するにつれ、イングランドの国家財政は危機的に状況に陥った。国王リチャード2世は、12歳以上のすべての国民に人頭税を課税することを決めた。
また、黒死病による労働力不足に悩んだ領主は、農民の移動の自由を奪い、農奴制を強化していった。

そんな中、神父ジョン・ボールが作ったという「アダムが耕しイブが紡いでいた時、だれが領主だったか」という歌が流行した。
1381年、ワット・タイラーは農民を組織し反乱を起こした。イングランド南東部のエシックスやケント州に始まった一揆は、たちまち全国に広がり、ロンドンに迫った。

ロンドンの市民は反乱軍を受け入れ、ロンドンは反乱軍の手に落ちた。大司教や大蔵大臣は殺害され、大商人の屋敷は焼き討ちされた。
リチャード2世はロンドン塔に避難したが、そこも反乱軍に包囲され、やむなくタイラーと会談し、農奴制の即時撤廃、小作料の軽減、一揆参加者の大赦などを認めた。
翌日、再び王と面談した際、タイラーは国王の臣下に暗殺されてしまう。これを機に国王軍は反乱軍を鎮圧し、一揆は失敗に終わった。

国王と領主階級による支配は強化されたが、農奴の解放の流れは進み、各地で自由を獲得した農民はヨーマン(独立自営農民)となっていった。

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(この項おわり)
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