西暦1809年 - 間宮海峡の発見

蝦夷地の地勢判明
間宮林蔵 文化 6 年(1809 年)2 月 10 日、間宮林蔵 (まみやりんぞう) は船でアジア大陸へ渡り、樺太が半島ではなく島であることを確認する。この時渡った海峡は、のちに間宮海峡と呼ばれるようになる。

伊能忠敬 (いのうただたか) から測量法を学んだ間宮林蔵 (まみやりんぞう) は、蝦夷地の測量を行い、幕府の命を受けて樺太 (からふと) (サハリン)を探検した。

シーボルトが後に作成した日本地図(→シーボルト事件)では、海峡の最狭部を「Str. Mamia seto 1808」(間宮の瀬戸)と記載しているが、海峡自体は「Kanaal van Tataryen」(タタール海峡)と記している。
YEAR
1700
1725
1750
1775
1800
1825
1850
1875
 
1809
 
 
1775
間宮林蔵
1844
 
1745
伊能忠敬
1818
 
1828
 
 
1796
シーボルト
1866
天明の大飢饉
1782
 
1787
 
1787
 
 
1758
松平定信
1829
 
1802
1822
 
1755
鶴屋南北
1829
東洲斎写楽の活動
1794
 
1795
 
1765
十返舎一九
1831
 
1760
葛飾北斎
1849
 
1767
曲亭馬琴
1848
 
1776
平田篤胤
1843
 
1773
徳川家斉
1841
 
1711
乾隆帝
1799
 
1782
道光帝
1850
フランス革命
1789
 
1799
 
1804
 
 
1769
ナポレオン・ボナパルト
1821
 
1763
ジョゼフィーヌ
1814
 
1814
 
 
1773
メッテルニヒ
1859
 
1773
ルイ・フィリップ
1850
 
1736
ジェームズ・ワット
1819
 
1781
ジョージ・スチーブンソン
1848
 
1738
ハーシェル
1822
 
1800
 
 
1745
ボルタ
1827
 
1796
 
 
1749
ジェンナー
1823
 
1749
ゲーテ
1832
 
1770
ベートーベン
1827
 
1735
ジョン・アダムズ
1826
 
1743
トーマス・ジェファーソン
1828
米英戦争
1812
 
1814
メキシコ独立戦争
1810
 
1821
 
1753
ミゲル・イダルゴ
1811
(この項おわり)
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