西暦1809年 - 間宮海峡の発見

蝦夷地の地勢判明
間宮林蔵
文化 6 年(1809 年)2 月 10 日、間宮林蔵 (まみやりんぞう) は船でアジア大陸へ渡り、樺太が半島ではなく島であることを確認する。この時渡った海峡は、のちに間宮海峡と呼ばれるようになる。

伊能忠敬 (いのうただたか) から測量法を学んだ間宮林蔵 (まみやりんぞう) は、蝦夷地の測量を行い、幕府の命を受けて樺太 (からふと) (サハリン)を探検した。

シーボルトが後に作成した日本地図(→シーボルト事件)では、海峡の最狭部を「Str. Mamia seto 1808」(間宮の瀬戸)と記載しているが、海峡自体は「Kanaal van Tataryen」(タタール海峡)と記している。
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(この項おわり)
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