西暦1676年 - 光速度の計算

大航海時代の副産物
オーレ・レーマー
デンマークの数学者オーレ・レーマーは、イタリアの天文学者ジョヴァンニ・カッシーニが観測した木星による衛星イオの食の周期の変動は、光の速度が有限で、木星から地球に光が到達する時間の差によるものだと気づいた。
1676年、レーマーはカッシーニの観測データを使って光速を20.9万km/sと計算した。現在、光速は29.979万km/sであり、歴史上、初めて意味のある値を計算したと言える。
大航海時代に入り、航海中の船の位置や正確な地図を作ることが求められた。
緯度は、北極星の高さで計測できたが、経度を計測するには正確な時計が必要だった。だが、クロノメーターが実用化されるのは1759年まで待たねばならなかった。
フランスの王立科学学士院は、1610年にガリレオが発見した木星の四大衛星が周期的に木星に隠れる現象(食)は、世界中のどこでも同時に観測できることから、食の予報を作ることにした。この仕事を完成させたのが、ジョヴァンニ・カッシーニであった。
カッシーニは、この業績が認められ1669年にパリ天文台に招かれた。予報をさらに精密にするためにオーレ・レーマーが雇われた。

この時代の世界

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(この項おわり)
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