西暦1824年 - 交響曲第9番「合唱つき」初演/カルノーサイクル

「欧州の歌」が完成する/産業革命への警鐘

ベートーベン交響曲第9番「合唱つき」初演

ベートーヴェン
1824年5月7日、ベートーベンの交響曲第9番ニ短調作品125(いわゆる“第九”)が、ウィーンのケルントネル門劇場で初演される。
その頃、ベートーベンは聴力を失っていたため、指揮はウムラウフが担当した。

初演が失敗と感じたベートーベンは、演奏終了後も観客席を見ることがしなかった。
これを見かねた歌手が彼の手を取って彼を観客席へ向かせたところ、熱狂した聴衆はアンコールを求め、2度も第2楽章が演奏されたという。
5回目のアンコールが求められた時、オーストリア当局が制止に入った。皇帝への喝采が3回とされているため、それ以上は不敬罪に当たるとされたのだ。

1789年、フランス革命の最中、ベートーベンはドイツの詩人フリードリヒ・シラーの「歓喜に寄せて」に接する。まだ1つの交響曲も作曲していなかった若きベートーベンであったが、いつしかこの詩を音楽にしたいと考えていたという。
1792年11月、ボンの貴族たちの援助でベートーベンはウィーン留学を果たす。
1808年、交響曲第5番「運命」を発表。
ナポレオン戦争の最中の1813年、ナポレオン軍を破ったイギリス軍の将軍を称える「戦争交響曲」を発表。

ウィーン会議の後、言論・思想の統制が厳しくなり、その手は音楽の分野にも及んだ。オーストリアでも思想的な意味が込められた交響曲より、簡単に聴けるオペレッタが流行るようになる。
この頃、ベートーベンは難聴が悪化し、作曲に時間がかかるようになる。

1823年12月、ついに交響曲第9番を書き上げる。
初演会場選びは難航するが、1824年5月7日、ウィーンのケルントネル門劇場で初演されることになった。
交響曲第9番はベートーベンの最後の交響曲となった。副題として「合唱つき」と付されている。

第一次世界大戦で日本の捕虜になったドイツ兵1000人が、鳴門市の収容所にいた。彼らは音楽の練習に励み、1918年(大正7年)6月1日、収容所内のホールでベートーベンの交響曲第9番を演奏。これが日本における初演となった。
以後、日本では「第九」の名前でよく聴かれるようになる。
また、第4楽章の「歓喜」の主題は欧州評議会において「欧州の歌」としてヨーロッパ全体を称える歌として採択されているほか、欧州連合においても連合における統一性を象徴するものとして採択されている。

参考書籍

表紙 ベートーベン 楽聖とよばれた大作曲家
著者 比留間さつき/よしかわ進
出版社 集英社
サイズ 全集・双書
発売日 1989年09月
価格 990円(税込)
ISBN 9784082400088
ベートーベンは、ドイツの生んだ偉大な作曲家です。子どものころは、第2のモーツァルトといわれるほどの天才ピアニストでしたが、25歳ころから耳が悪くなりはじめ、31歳ころにはなにも聞こえなくなってしまいました。そのために自殺まで考えたベートーベンでしたが、それをのりこえ、今でも世界中の人びとに親しまれている曲を、たくさん作曲しました。
 
表紙 ゲーテとベートーヴェン 巨匠たちの知られざる友情
著者 青木やよひ
出版社 平凡社
サイズ 新書
発売日 2004年11月
価格 946円(税込)
ISBN 9784582852493
一八一二年夏、二人の巨匠はボヘミアで出会う。ゲーテ六三歳、ワイマル公国の枢密顧問官として社交に余念がない。ベートーヴェン四一歳、“不滅の恋人”との恋に心を高ぶらせていた。そして時代は、ナポレオンの没落を前にして激しく動いている。本書は、政治的・社会的状況を丹念に踏まえ、巨匠たちの交響する世界を臨場感豊かに描写する。手紙、日記、友人たちの証言など資料を駆使した、まったく新しい視点による芸術家像がここに誕生。
 

カルノーサイクル

ニコラ・レオナール・サディ・カルノー
ニコラ・レオナール・サディ・カルノー
1824年、フランスの科学者カルノーは、『火の動力およびこの動力を発生させるに適した期間についての考察』(火の動力)を発表し、理想的な熱機関を作動させる循環過程としてのカルノーサイクルを提唱した。

カルノーサイクルは実現不可能な理想機関だが、スターリングエンジンがこれに近い。そして、カルノーサイクルを評価する過程で、熱力学第二法則、エントロピーなどの熱力学の概念が導き出されてゆく。
また、カルノーはこの論文で、「燃料のもつ動力を実際にすべて利用しつくすというようなことは望めない」と前置きした上で、「機関の確実さ・堅牢さ・寿命・占める場所が小さいこと・建造のための費用、等々を優先させねばならない」と、エネルギー源の安全性が重要であることを述べた。産業革命にあって、生産力増強のためのエネルギー確保に奔走していた社会に対する警鐘であったが、現代の私たちも考えなければならない永遠のテーマである。

この時代の世界

1725 1775 1825 1875 1824 ベートーベン交響曲第9番「合唱つき」の初演 1770 1827 ベートーベン 1824 カルノーサイクル 1796 1832 カルノー 1825 世界初の鉄道路線 1781 1848 ジョージ・スチーブンソン 1816 化石による地層同定の法則 1769 1839 ウィリアム・スミス 1816 万華鏡の発明 1781 1868 ディヴィッド・ブルースター 1791 1867 ファラデー 1818 「フランケンシュタイン」の出版 1797 1851 メアリー・シェリー 1788 1824 ジョージ・ゴードン・バイロン 1817 自転車の発明 1785 1851 カール・ドライス 1749 1832 ゲーテ 1800 ボルタが電池を発明 1745 1827 ボルタ 1796 種痘の実施 1749 1823 ジェンナー 1838 年周視差の発見 1784 1846 ベッセル 1775 1854 シェリング 1839 ダゲレオタイプ 1787 1851 ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール 1762 1814 フィヒテ 1799 ロゼッタ・ストーンの発見 1790 1832 シャンポリオン 1770 1831 ヘーゲル 1766 1834 トマス・マルサス 1814 ウィーン会議 1773 1859 メッテルニヒ 1757 1836 シャルル10世 1830 七月革命 1773 1850 ルイ・フィリップ 1808 1873 ナポレオン3世 1812 1814 米英戦争 1738 1820 ジョージ3世 1815 神聖同盟 1840 1842 アヘン戦争 1735 1826 ジョン・アダムズ 1743 1828 トーマス・ジェファーソン 1796 1855 ニコライ1世 1821 「大日本沿海輿地全図」完成 1745 1818 伊能忠敬 1809 間宮海峡の発見 1775 1844 間宮林蔵 1828 シーボルト事件 1792 大黒屋光太夫がロシア女帝に謁見 1751 1823 大黒屋光太夫 1832 鼠小僧の処刑 1797 1832 鼠小僧次郎吉 1782 1787 天明の大飢饉 1787 寛政の改革 1758 1829 松平定信 1793 1837 大塩平八郎 1787 1856 二宮尊徳 1793 1853 徳川家慶 1794 1851 水野忠邦 1793 1855 遠山金四郎 1833 1837 天保の大飢饉 1771 1840 光格天皇 1800 1846 仁孝天皇 1755 1829 鶴屋南北 1794 1795 東洲斎写楽の活動 1823 1829 「富嶽三十六景」 1760 1849 葛飾北斎 1765 1831 十返舎一九 1773 1841 徳川家斉 1814 1842 「南総里見八犬伝」刊行開始 1767 1848 曲亭馬琴 1776 1843 平田篤胤 1783 1842 柳亭種彦 1793 1841 渡辺崋山 1825 「四谷怪談」の初演 1794 1858 ペリー 1802 1850 勝小吉 1804 1850 高野長英 1782 1850 道光帝 1785 1850 林則徐 1814 1864 洪秀全 1840 1842 アヘン戦争 1735 1826 ジョン・アダムズ 1743 1828 トーマス・ジェファーソン 1846 1848 アメリカ・メキシコ戦争 1809 1865 リンカーン 1807 1870 リー将軍 1810 1821 メキシコ独立戦争 1753 1811 ミゲル・イダルゴ 1783 1824 イトゥルビデ 1846 1848 アメリカ・メキシコ戦争 1799 ロゼッタ・ストーンの発見 1769 1849 ムハンマド・アリー Tooltip
(この項おわり)
header