
その後、1825年、ジョージ・スティーブンソンは、イングランド北部のストックトン=ダーリントン間の61キロに世界最初の鉄道路線を敷設し、そこを走行する蒸気機関車「ロコモーション号」を開発した。
ロコモーションは全長9メートル、重量6.5トンという小型機関車であったが、20トンの列車を時速20キロで牽引することができた。
しかし煙管が短いために煙突から火炎を吹いて走ったので、火竜と呼んで恐れられられた。また、ボイラやシリンダの破裂事故も多発した。

1829年、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道に使用する機関車を選ぶコンテストにスティーブンソン親子が設計・製作した「ロケット号」で参加し、優勝した。
このロケット号はロコモーション号に比べて様々な点が改良されており、蒸気機関車の基本設計を確立した。その後、ジョージ・スティーブンソンは「蒸気機関車の父」と呼ばれるようになる。

1830年、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道が営業運転を始める。インドや新大陸で収穫された綿花がリバプールの港からマンチェスターに運ばれ、綿織物に加工され、再びリバプールから世界中へ輸出された。
1840年、初めて列車時刻表が公表された。鉄道は馬車よりも格段に速く、各地の時刻のズレが問題になった。
1847年、イギリスの鉄道会社各社が集まり、すべての鉄道時刻表は現地時間ではなく、グリニッジ天文台の時刻に準ずることで合意した。
ロコモーションは全長9メートル、重量6.5トンという小型機関車であったが、20トンの列車を時速20キロで牽引することができた。
しかし煙管が短いために煙突から火炎を吹いて走ったので、火竜と呼んで恐れられられた。また、ボイラやシリンダの破裂事故も多発した。

1829年、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道に使用する機関車を選ぶコンテストにスティーブンソン親子が設計・製作した「ロケット号」で参加し、優勝した。
このロケット号はロコモーション号に比べて様々な点が改良されており、蒸気機関車の基本設計を確立した。その後、ジョージ・スティーブンソンは「蒸気機関車の父」と呼ばれるようになる。

1830年、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道が営業運転を始める。インドや新大陸で収穫された綿花がリバプールの港からマンチェスターに運ばれ、綿織物に加工され、再びリバプールから世界中へ輸出された。
1840年、初めて列車時刻表が公表された。鉄道は馬車よりも格段に速く、各地の時刻のズレが問題になった。
1847年、イギリスの鉄道会社各社が集まり、すべての鉄道時刻表は現地時間ではなく、グリニッジ天文台の時刻に準ずることで合意した。
この時代の世界
(この項おわり)
鉱山から採掘された石炭は馬車で運河まで運ばれ、船で工場まで運搬された。しかし、運河を掘るためには莫大な費用がかかり、新しい運送手段が求められていた。
そんな中、1804年にトレビックが蒸気機関車を開発し、南ウエールズのペニダランという町にあった鉄工所の構内に鉄道を敷き、時速6キロで走行させることに成功した。