ビキニ水爆実験

ビキニ水爆実験
1954年(昭和29年)3月1日、アメリカが中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁において水爆実験を行う。この水爆(コード名ブラボー)はTNT火薬15Mトンの爆発力(原子爆弾1000個分)をもち、マグニチュード8.0の地震に相当する。海底に直径約2キロメートル、深さ73メートルのクレーターを形成した。

第五福竜丸の船首部分
原爆から水爆へ

トルーマン大統領
そこで、熱核反応(核融合反応)を用いることで、この限界を突破することが見込めた。二重水素・三重水素を原料に用いることから、水素爆弾(水爆)と呼ばれるようになる。
トルーマンはマンハッタン計画の研究者を集め、1952年(昭和27年)11月1日、エニウェトク環礁で人類初の水爆実験に成功。10.4Mトンの威力を見せた。だが、水素を冷却液化するために大規模な装置が必要で、重量は65トンにも達した。
ところが1年も経たない1953年(昭和28年)8月12日、ソ連が固体の重水素化リチウムを使った小型の水爆実験に成功した。アメリカも慌てて重水素化リチウムを使った水爆実験に着手する。

核融合そのものは核分裂のように長期にわたって放射線を発生させる放射能を含まないが、原爆を起爆剤として使うため、兵器として使用されたときの放射能汚染は免れない。第五福竜丸は、そのために被曝した。
トルーマンはマンハッタン計画の研究者を集め、1952年(昭和27年)11月1日、エニウェトク環礁で人類初の水爆実験に成功。10.4Mトンの威力を見せた。だが、水素を冷却液化するために大規模な装置が必要で、重量は65トンにも達した。
ところが1年も経たない1953年(昭和28年)8月12日、ソ連が固体の重水素化リチウムを使った小型の水爆実験に成功した。アメリカも慌てて重水素化リチウムを使った水爆実験に着手する。

核融合そのものは核分裂のように長期にわたって放射線を発生させる放射能を含まないが、原爆を起爆剤として使うため、兵器として使用されたときの放射能汚染は免れない。第五福竜丸は、そのために被曝した。
史上最大の水爆
その後も米ソ両国で水爆の改良が進められ、1950年代半ばには、爆撃機に搭載可能なメガトン級核兵器が実用化された。
1961年(昭和36年)10月30日、ソ連は史上最大の水爆「ツァーリ・ボンバ」の実験を敢行。設計上は100Mトンの破壊力があったが、自国の破壊を恐れ、半分の50Mトンに絞って実験した。それでも、爆発による衝撃波が地球を3周したという。
1961年(昭和36年)10月30日、ソ連は史上最大の水爆「ツァーリ・ボンバ」の実験を敢行。設計上は100Mトンの破壊力があったが、自国の破壊を恐れ、半分の50Mトンに絞って実験した。それでも、爆発による衝撃波が地球を3周したという。
核の冬
1958年(昭和33年)にイギリス、1967年(昭和42年)に中華人民共和国、1968年(昭和43年)にフランスが水爆の開発に成功し、核兵器の総量は地球上の全人類を一掃しても余りあるほどの量に達し、核兵器の存在そのものが矛盾を来すようになった。

1983年(昭和58年)、天文学者のカール・セーガンらが、全面核戦争が起きた場合、世界各地で発生する大規模火災をにより数百万トン規模のエアロゾルが大気中に放出され、これが太陽光線を遮ることにより、植物の死滅や気候の激変を起こすという「核の冬」理論を発表した。

1950年代から、原爆を起爆剤に使用しない純粋な水爆の研究は続けられてきたが、1992年(平成4年)、アメリカは兵器としての純粋水爆の開発を断念した。2021年(令和3年)現在、純粋水爆の開発に成功した報告はない。

1983年(昭和58年)、天文学者のカール・セーガンらが、全面核戦争が起きた場合、世界各地で発生する大規模火災をにより数百万トン規模のエアロゾルが大気中に放出され、これが太陽光線を遮ることにより、植物の死滅や気候の激変を起こすという「核の冬」理論を発表した。

1950年代から、原爆を起爆剤に使用しない純粋な水爆の研究は続けられてきたが、1992年(平成4年)、アメリカは兵器としての純粋水爆の開発を断念した。2021年(令和3年)現在、純粋水爆の開発に成功した報告はない。
FORTRAN が考案される

最初のFORTRAN解説書

ジョン・バッカス
最初の FORTRAN は32個の命令から成り、1956年(昭和31年)10月にマニュアルが作成され、1957年(昭和32年)4月にコンパイラが完成した。先代の IBM 701 がミサイルの軌道計算を行っていたことから、FORTRAN で書いたプログラムはアセンブリ言語の20分の1という効率的なものとなったが、アセンブリで書いたものと同等のパフォーマンスで動かなければユーザーに受け入れられないと考え、最初から最適化コンパイラが用意された。

その後、手続き型プログラミング、論理演算、IF文、倍精度実数などをサポートし、1966年(昭和41年)に FORTRAN 66 として規格化された。
1977年(昭和52年)に FORTRAN 77、1991年(平成3年)にはオブジェクト指向プログラミングを採り入れたISO規格 Fortran 90 として標準化された。

その後、手続き型プログラミング、論理演算、IF文、倍精度実数などをサポートし、1966年(昭和41年)に FORTRAN 66 として規格化された。
1977年(昭和52年)に FORTRAN 77、1991年(平成3年)にはオブジェクト指向プログラミングを採り入れたISO規格 Fortran 90 として標準化された。
この時代の世界
(この項おわり)