西暦1956年 - リレー式計算機「FACOM 128」発売

日本初の商用コンピュータ
FACOM 128
FACOM 128
1956年(昭和31年)9月、富士通信機製造(現・富士通)が、日本初の商用リレー式計算機「FACOM 128」を文部省統計数理研究所へ納入した。
FACOM 230-60
FACOM 230-60
リレー式計算機は原理的にプログラム内蔵方式でないため、厳密には「コンピュータ」と呼べないが、1968年(昭和43年)の FACOM 230-60 でICを採用し、プログラムを内蔵できるようになり、1974年(昭和49年)に製品化した FACOM M-190 は、世界で初めて全面的にLSIを採用し、IBMの大型コンピュータより3倍高速であった。
電気統計機の入力装置(東京都統計局)
電気統計機の入力装置(東京都統計局)
太平洋戦争で焼失した東京都統計課のIBM製統計会計機を代替すべく、東京大学の山下英男教授の指導により、リレーを主体にした統計分類集計機の開発が進められた。
電気統計機(東京都統計局)
電気統計機(東京都統計局)
統計機械は米国製のパンチカード統計機に頼っていたが、太平洋戦争中にパンチカードの輸入が難しくなった。カード式統計機に用いられる紙カードには高い品質が求められ、国サインでは再現ができず、山下は内閣統計局の中川友長からパンチカードを用いない方式の統計機について相談を受け、1948年(昭和23年)に、オペレータが伝票を見ながらキーボードから直接データを入力し、それがリレーによるレジスタに蓄え、順次度数計で構成された表示回路に表示していく画線法を機械化した山下式画線統計機を試作する。富士通信機(現・富士通)および日本電気により商品化され、1951年(昭和26年)3月に富士通信機製造が東京都統計課に、8月に日本電気が総理府統計局に納品した。
池田敏雄
池田敏雄
1953年(昭和28年)には東証が機械化を検討していることを知った富士通信機製造では、池田敏雄らが中心となり株式取引高精算用計算機を試作した。この試作機は動作が不安定で東証への納品はかなわなかったが、その開発経験を活かし、1954年(昭和29年)に自由にプログラミングができる本格的なリレー式自動計算機 FACOM100 が完成した。FACOM は Fuji Automatic COMputerの頭文字である。
FACOM 100を囲む湯川、池田ら
FACOM 100を囲む湯川、池田ら
1949年(昭和24年)に日本ではじめてノーベル賞を受賞した湯川秀樹は、複雑な多重積分の計算を依頼し、人間の手でやったら2年かかる計算を FACOM100 は3日間で結果を算出し、湯川は「これで研究のスピードが飛躍的に進む」と喜んだという。
池田らは FACOM100 の経験を活かし、1956年(昭和31年)9月に日本初の商用リレー式計算機 FACOM 128 を文部省統計数理研究所へ納入した。改良型の FACOM128A は、インデックスレジスタを導入することで、FACOM100 の4倍の演算速度を実現した。
しかし、1958年(昭和33年)に米IBMが、トランジスタを主に使った大型コンピュータ(メインフレーム)のIBM 7000シリーズを発表し、金融機関を中心に、多くの日本企業が輸入した。演算速度は FACOM 128 の100倍に達した。
富士通信機製造は、日本で発明されたパラメトロン素子を使ったFACOM200シリーズを開発・販売したが、トランジスタを使った商用コンピュータは開発せず、ICを導入することになった。IBMは50億ドル(1兆8千億円)を投じた System/360 を1964年(昭和39年)4月に発表しており、これに対抗するためだった。
1965年(昭和40年)にICを使った FACOM230 を発表し、その価格の安さから1,000台を出荷するベストセラー機になったものの、東京大学大型計算機センターへのコンピュータ納入合戦で、日立製作所の大型コンピュータ HITAC に性能負けしてしまう。加えて、IBMと互換性のないことが仇になった。

富士通信機製造は日立製作所と技術提携し、IBM System/360 コンパチブルのFACOM Mシリーズの開発に着手する。池田らは世界初となるLSIを採用することを決め、System/360 を開発したものの、System/370 の設計を巡ってIBMを退職したジーン・アムダールが設立した会社を支援することで技術提供を受けた。資金面では通商産業省の補助金を受けた。
1975年(昭和50年)11月の日本電子計算機ショウで発表された FACOM M-190 は、1972年(昭和47年)に発売された IBM System/370 の3倍の演算性能を発揮した。アムダールの会社が発売した姉妹機の Amdahl 470/V6 の製造も富士通信機製造が請け負い、1975年(昭和50年)にはアメリカ航空宇宙局(NASA)に納入された。
日本電子計算機ショウの1週間前、富士通信機製造でコンピュータ開発を牽引した池田は、カナダの提携先の社長を羽田空港で出迎えている際にくも膜下出血で倒れ、FACOM M-190 のお披露目を見ることなく他界する。

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