西暦1538年 - プレヴェザの海戦

オスマン帝国が地中海を支配
プレヴェザの海戦
プレヴェザの海戦
1538年、オスマン帝国スレイマン1世の艦隊は、スペイン、ローマ教皇、ヴェネツィア共和国の連合艦隊を破り、地中海の制海権を獲得した。オスマン帝国艦隊を指揮したのは、海賊として恐れられていたバルバロスであった。
バルバロス・ハイレッディン
バルバロス・ハイレッディン
16世紀に入るとヴェネツィア共和国が衰退し、地中海の覇権をかけて、オスマン帝国とスペイン・ハプスブルク家がしのぎを削っていた。
スレイマン1世は、1529年、ウィーン包囲でハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール5世に圧力をかけると、1537年に入り、エーゲ海、イオニア海にあるヴェネツィア共和国の島々を次々に占領した。オスマン帝国艦隊を率いていたのは、海賊として恐れられ、1533年にオスマン帝国に帰順したバルバロス(バルバロッサ、赤髭)であった。
スレイマン1世
スレイマン1世
プレヴェザの海戦に勝利したスレイマン1世は、クレタ島、マルタ島、キプロス島を除く地中海の制海権を手にした。
スレイマン1世の死後の1571年、レパントの海戦でオスマン帝国軍はスペインに敗れるが、1574年にはチェニスを征服し、地中海の制海権を回復した。
オスマン帝国の地中海支配は17世紀まで続く。

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