
マクシミリアン1世(デューラー画)

マクシミリアン1世と家族
騎士道物語の影響を受け「中世最後の騎士」とも呼ばれたが、時代は騎士から傭兵の時代となっていた。フッガー家との交流を通じて得た資金で傭兵や武器を整える一方、芸術へつぎ込んだ。デューラーなどの芸術家のパトロンとなり、ウィーン少年合唱団の前身をつくった。

1477年、マクシミリアンはブルゴーニュ公国の王女マリアと結婚した。
マクシミリアンはフランス語を、マリアはドイツ語を理解できなかった。このため、夫婦はラテン語で会話を交わすということになった。また、マリアにダイヤの指輪を贈ったが、これが婚約指輪の習慣になる。

1477年、マクシミリアンはブルゴーニュ公国の王女マリアと結婚した。
マクシミリアンはフランス語を、マリアはドイツ語を理解できなかった。このため、夫婦はラテン語で会話を交わすということになった。また、マリアにダイヤの指輪を贈ったが、これが婚約指輪の習慣になる。

ルイ11世

ランツクネヒト
1493年、父フリードリヒ3世の死去に伴い、マクシミリアン1世は神聖ローマ皇帝に選出された。当時、神聖ローマ皇帝は、ドイツ諸侯の総意によって選出されることになっていた。
神聖ローマ帝国の軍事力は、封建騎士から傭兵部隊に移行していた。傭兵部隊を維持するための費用を調達するために、ドイツ諸侯の協力は必要不可欠であった。
神聖ローマ帝国の軍事力は、封建騎士から傭兵部隊に移行していた。傭兵部隊を維持するための費用を調達するために、ドイツ諸侯の協力は必要不可欠であった。

ヤーコプ・フッガー(デューラー画)
1495年、ヴォルムスで帝国議会が開催され、永久ラント平和令を発布し、帝室裁判所、帝国統治院、帝国議会などを制定した。こうしてドイツ国民の神聖ローマ帝国が確立されてゆく。
スイスの独立運動が盛んになり、1499年、マクシミリアン1世はこれを承認した。

1508年、マクシミリアン1世はローマ教皇ユリウス2世から正式に戴冠を受けるべくローマへ向かうがヴェネツィア共和国の妨害を受け、トレントで戴冠式を挙げる。
マクシミリアン1世は、バイエルンに併合されそうになっていたチロル地方を継承し、オーストリアを統一することにも成功した。チロルを継承したことで、チロル地方の銀山を支配し銀行業も営んでいたフッガー家との関係ができ、ハプスブルク家の財政基盤が確立された。
スイスの独立運動が盛んになり、1499年、マクシミリアン1世はこれを承認した。

1508年、マクシミリアン1世はローマ教皇ユリウス2世から正式に戴冠を受けるべくローマへ向かうがヴェネツィア共和国の妨害を受け、トレントで戴冠式を挙げる。
マクシミリアン1世は、バイエルンに併合されそうになっていたチロル地方を継承し、オーストリアを統一することにも成功した。チロルを継承したことで、チロル地方の銀山を支配し銀行業も営んでいたフッガー家との関係ができ、ハプスブルク家の財政基盤が確立された。
この時代の世界
参考書籍
(この項おわり)
マクシミリアン1世は、結婚政策で成功をおさめ、ハプスブルク家の隆盛の基礎を築いた。