西暦1501年 - サファヴィー朝の建国

イスマーイール1世
イスマーイール1世
1501年、イスマーイール1世はサファヴィー教団を率い、白羊朝(アタ・コユンル)の都タブリーズに入城し、ティムール帝国を倒したウズベク族のシャイバーン朝を倒し、イラン全域(ペルシア地域)の支配権を握りサファヴィー朝を開く。

ペルシアを支配した王朝としては、初めてシーア派の一派である十二イマーム派を国境としている。
ロシアの南下によって滅ぶ1736年まで続き、現在のイランとアゼルバイジャン、イラク南部で十二イマーム派が住民の大多数を占めているのは、サファヴィー朝の影響である。
ウズン・ハサン
ウズン・ハサン
サファヴィー教団は神秘主義教団として、イラン北西部のカスピ海沿岸に拠点を置いていた。白羊朝の君主ウズン・ハサンはサファヴィー教団と同盟を結ぼうと、娘アーラム・シャオを教主シャイフ・ハイダルに嫁がせた。1487年、2人に間にイスマーイールが生まれる。
しかし、教団の影響力を恐れたウズン・ハサンはサファヴィー教団を攻撃し、教主一族は次々に落命。イスマーイールはわずか7歳で教主の地位に就き、カスピ海南岸に潜伏した。
キジルバシ
キジルバシ
1499年、白羊朝が不安定になると、イスマーイールは挙兵し、アナトリア半島各地の信者に決起を促し、エルズィンジャンに7千人の信者(キジルバシと呼ばれるトルコ系遊牧民の信者)を集めた。教主イスマーイールを無謬の救世主と崇め、忠誠を誓ったサファヴィー教団は難なく白羊朝の首都であるタブリーズに入城した。
タブリーズのブルーモスク
タブリーズのブルーモスク
イスマーイールシーア派の一派である十二イマーム派を信仰することを宣言した。当時のタブリーズの住人の3分の2はスンナ派だったが、イスマーイールの決意は固かった。
イスマーイールは、古代イランから王都意味するシャーの称号を名乗り、キジルバシの有力者を地方長官に任じ、行政官僚には白羊朝のイラン人貴族を登用した。
1508年、イスマーイールは最後に残った白羊朝の君主ムラードを倒しバグダードを制圧。白羊朝が滅亡する。
チャルディラーンの戦い
チャルディラーンの戦い
1514年、セリム1世が率いるオスマン帝国とサファヴィー朝は、アナトリア東部のチャルディラーンの平原で激突する(チャルディラーンの戦い)。オスマン軍は大砲をはじめとする火器を装備しており、騎兵を中心とするサファヴィー軍は敗退する。
カール5世
カール5世
この敗戦によりイスマーイールの無謬性は失われ、彼は軍事行動を控え、次第に宮殿内に引き籠もることが増えていった。
イスマーイールはヨーロッパ諸国と同盟してオスマン帝国を挟撃することを画策したが、当時のヨー立派な宗教改革の嵐が吹き荒れ、それどころではなかった。
タフマースブ1世
タフマースブ1世
1524年、イスマーイールが死去し、王子のタフマースブ1世が跡を継いだ。
内政ではキジルバシ同士の抗争が表面化し、対外的にはオスマン帝国とシャイバーニー朝との抗争に明け暮れることになる。スレイマン1世の侵攻で、一時は、タブリーズやバグダットを奪われるが、フマーユーンを保護するなど、ムガル帝国への影響力を強めた。

この時代の世界

1375 1425 1475 1525 1575 1625 1501 サファヴィー朝の建国 1487 1524 イスマーイール1世 1514 1576 タフマースブ1世 1423 1478 ウズン・ハサン 1520 1566 スレイマン1世の治政 1494 1566 スレイマン1世 1464 1520 セリム1世 1529 ウィーン包囲 1453 東ローマ帝国滅亡 1432 1481 メフメト2世 1513 ピリ・レイスの地図 1465 1554 ピリ・レイス 1517 マムルーク朝の滅亡 1483 1530 バーブル 1526 ムガル帝国の建国 1517 95ヶ条の論題 1483 1546 マルティン・ルター 1516 『ユートピア』の刊行 1478 1535 トマス・モア 1534 首長法 1491 1547 ヘンリー8世 1511 『愚神礼讃』の刊行 1466 1536 エラスムス 1486 「魔女の鉄槌」の出版 1497 「最後の晩餐」の完成 1452 1519 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1532 マキャベリ『君主論』出版 1469 1527 マキャベリ 1493 1541 パラケルスス 1471 1528 デューラー 1483 1520 ラファエロ 1473 1543 コペルニクス 1475 1564 ミケランジェロ 1491 1556 イグナチオ・デ・ロヨラ 1503 1566 ノストラダムス 1475 1521 レオ10世 1524 農民戦争 1489 1525 トマス・ミュンツァー 1494 トルデシリャス条約 1469 1521 マヌエル1世 1469 1524 ヴァスコ・ダ・ガマ 1492 グラナダ陥落 1451 1504 イサベル1世 1452 1516 フェルナンド2世 1492 大西洋航路の発見 1451 1506 コロンブス 1488 喜望峰の発見 1508 マクシミリアン1世が即位 1519 1522 マゼランの世界周航 1480 1521 マゼラン 1468 1549 パウルス3世 1529 サラサゴ条約 1527 ローマ略奪 1519 カール5世が即位 1500 1558 カール5世 1499 1565 ピウス4世 1494 1547 フランソワ1世 1492 1519 ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチ 1485 1547 コルテス 1475 1541 ピサロ 1474 レギオモンタヌス『天体位置表』 1515 デューラーの星図 1549 ザビエル来日 1506 1552 フランシスコ・ザビエル 1487 1541 北条氏綱 1496 1557 後奈良天皇 1507 1551 大内義隆 1507 1551 斎藤道三 1511 1550 足利義晴 1494 1574 武田信虎 1497 1571 毛利元就 1519 1560 今川義元 1523 1563 毛利隆元 1515 1571 北条氏康 1543 鉄砲伝来 1526 石見銀山の開発はじまる 1483 銀閣建立 1488 加賀の一向一揆 1493 明応の政変 1466 1523 足利義稙 1493 北条早雲が伊豆討ち入り 1432 1519 北条早雲 1480 モスクワ大公国の独立 1440 1505 イヴァン3世 1521 アステカ帝国が滅びる 1485 1547 コルテス 1533 インカ帝国が滅びる 1475 1541 ピサロ 1472 1528 王守仁 1500 1559 王直 Tooltip
(この項おわり)
header