西暦1570年 - 姉川の戦い

織田・徳川連合軍vs浅井・朝倉連合軍
姉川の戦いは、1570年(元亀元年)6月28日、現在の滋賀県長浜市野村町付近の姉川を挟んで、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍の間に起きた合戦である。

織田・徳川連合軍の約3万4千の兵に対し、浅井・朝倉連合軍は1万8千と劣勢だったにもかかわらず善戦し、戦は熾烈を極めた。双方の死者は2600人に及んだ。
織田信長は1567年(永禄10年)、実妹のお市の方 (おいちのかた) を近江(現在の滋賀県)の戦国武将・浅井長政 (あざいながまさ) と政略結婚させる。こうして後顧の憂いを断った信長は、足利義昭 (あしかがよしあき) を奉じて上洛する。
1568年(永禄11年)10月、足利義昭 (あしかがよしあき) は第15代将軍に就任する。
だが、若い将軍・義昭は信長の傀儡政権となることを好まず、ひそかに越前(現在の福井県)の戦国武将・朝倉義景 (あさくらよしかげ) と連絡を取り合い、信長を牽制しようとした。

この動きに怒った信長は、1570年(永禄13年)4月、越前へ侵攻を開始する。ところが突然、浅井軍が朝倉側に寝返り、織田軍の背後を突いた。織田軍は撤退を余儀なくされた。
京都へ一時撤退した信長は、すぐに兵馬を整え、浅井氏討伐に向かった。こうして6月28日に姉川の合戦が勃発する。

姉川の合戦は1日で決着が付いた。負けた浅井・朝倉連合軍は敗走し、浅井長政は小谷城 (おだにじょう) に3年にわたって籠城することになる。

この時代の世界

1475 1525 1575 1625 1675 1570 姉川の戦い 1534 1582 織田信長 1547 1583 お市の方 1545 1573 浅井長政 1533 1573 朝倉義景 1536 1565 足利義輝 1538 1568 足利義栄 1537 1597 足利義昭 1573 室町幕府が滅ぶ 1553 1564 川中島の戦い 1530 1578 上杉謙信 1521 1573 武田信玄 1546 1582 武田勝頼 1560 桶狭間の戦い 1519 1560 今川義元 1539 1599 前田利家 1536 1598 豊臣秀吉 1542 1616 徳川家康 1515 1571 北条氏康 1538 1590 北条氏政 1523 1563 毛利隆元 1530 1586 吉川元春 1533 1597 小早川隆景 1562 1591 北条氏直 1543 鉄砲伝来 1549 ザビエル来日 1522 1583 柴田勝家 1528 1582 明智光秀 1517 1593 正親町天皇 1522 1591 千利休 1571 比叡山焼き討ち 1573 三方ヶ原の戦い 1546 1604 黒田如水 1575 長篠の戦い 1576 安土城の築城開始 1582 本能寺の変 1583 賤ヶ岳の戦い 1584 小牧・長久手の戦い 1585 豊臣秀吉が関白に任官 1582 1590 天正遣欧少年使節 1547 1611 真田昌幸 1560 1600 石田三成 1563 1600 細川ガラシャ 1587 バテレン追放令 1568 1609 ネーデルラント独立戦争 1527 1598 フェリペ2世 1562 1598 ユグノー戦争 1553 1610 アンリ4世 1519 1589 カトリーヌ・ド・メディシス 1503 1566 ノストラダムス 1551 1589 アンリ3世 1519 1574 コジモ1世 1512 1594 メルカトル 1545 1563 トリエント公会議 1533 1592 モンテーニュ 1533 1603 エリザベス1世 1543 1596 フランシス・ドレーク 1571 レパントの海戦 1572 ティコの新星 1546 1601 ティコ・ブラーエ 1541 1614 エル・グレコ 1582 グレゴリオ暦の導入 1547 1616 セルバンテス 1588 アルマダ戦争 1564 1616 シェークスピア 1561 1626 フランシス・ベーコン 1566 1625 ジェームズ1世 1600 「ハムレット」の完成 1571 1630 ケプラー 1600 イギリス東インド会社設立 1602 オランダ東インド会社設立 1572 サンバルテルミの虐殺 1559 1626 ヌルハチ 1600 イギリス東インド会社設立 1602 オランダ東インド会社設立 1530 1584 イヴァン4世 1532 1585 イェルマーク・チモフェーイェヴィチ 1598 シビル・ハン国の滅亡 Tooltip

参考サイト

(この項おわり)
header