西暦1573年 - 三方ヶ原の戦い

武田信玄病没,室町幕府滅亡,井伊直虎が井伊谷城奪還
徳川家康
徳川家康
1573年1月25日(元亀3年12月22日)、約2万7千の兵を率いて上洛を開始した甲斐の武田信玄 (たけだしんげん) 遠江 (とおとうみ) に入り、徳川家康 (とくがわいえやす) の居城である浜松城の近くを通り過ぎようとしていた。

家康の手勢はわずか8千。そのまま通り過ぎるのを待つべきだったが、31歳の家康は我慢がならなかった。
誘い出されるように浜松城と出ると、遠江国敷知郡の三方ヶ原 (みかたがはら) (現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で、信玄の軍と衝突。三方ヶ原の戦い (みかたがはらのたたかい) が勃発した。
武田信玄
武田信玄
しかし戦上手の信玄に敵うはずもなく、家康はわずかな手勢と共に浜松城へ逃げ帰る羽目になる。家康の惨敗であった。

勢いに乗った武田軍はそのまま上洛するが、5月、信玄が病死し、全軍は甲斐へ引き返した。
一方、武田軍と結んで織田信長を討とうとした室町幕府第15代将軍・足利義昭 (あしかがよしあき) は、逆に信長によって追放され、ここに室町幕府が滅亡する。
三方原の戦いで、家康は堪え忍ぶことを学んだという。
1579年(天正7年)、同盟関係にあった織田信長の命令に従って妻と長男を死に追いやり、信長の死後は豊臣秀吉に臣下の礼をとった。
27年後、関ヶ原の戦いに勝利し、ようやく家康は天下を握ることになる。

この時代の世界

1475 1525 1575 1625 1675 1573 三方ヶ原の戦い 1542 1616 徳川家康 1521 1573 武田信玄 1536 1582 井伊直虎 1560 桶狭間の戦い 1519 1560 今川義元 1546 1582 武田勝頼 1571 比叡山焼き討ち 1534 1582 織田信長 1570 姉川の戦い 1547 1583 お市の方 1545 1573 浅井長政 1533 1573 朝倉義景 1583 賤ヶ岳の戦い 1536 1565 足利義輝 1538 1568 足利義栄 1537 1597 足利義昭 1573 室町幕府が滅ぶ 1553 1564 川中島の戦い 1530 1578 上杉謙信 1539 1599 前田利家 1536 1598 豊臣秀吉 1515 1571 北条氏康 1538 1590 北条氏政 1523 1563 毛利隆元 1530 1586 吉川元春 1533 1597 小早川隆景 1562 1591 北条氏直 1543 鉄砲伝来 1549 ザビエル来日 1522 1583 柴田勝家 1528 1582 明智光秀 1517 1593 正親町天皇 1522 1591 千利休 1546 1604 黒田如水 1575 長篠の戦い 1576 安土城の築城開始 1582 本能寺の変 1582 1590 天正遣欧少年使節 1584 小牧・長久手の戦い 1585 豊臣秀吉が関白に任官 1588 聚楽第で大茶会が催される 1588 刀狩り令 1590 秀吉による天下統一 1547 1611 真田昌幸 1567 1615 真田幸村 1560 1600 石田三成 1572 ティコの新星 1546 1601 ティコ・ブラーエ 1571 1630 ケプラー 1582 グレゴリオ暦の導入 1571 レパントの海戦 1547 1616 セルバンテス 1568 1609 ネーデルラント独立戦争 1527 1598 フェリペ2世 1572 サンバルテルミの虐殺 1562 1598 ユグノー戦争 1598 ナントの勅令 1553 1610 アンリ4世 1519 1589 カトリーヌ・ド・メディシス 1503 1566 ノストラダムス 1588 アルマダ戦争 1533 1603 エリザベス1世 1543 1596 フランシス・ドレーク 1551 1589 アンリ3世 1519 1574 コジモ1世 1512 1594 メルカトル 1545 1563 トリエント公会議 1533 1592 モンテーニュ 1541 1614 エル・グレコ 1564 1616 シェークスピア 1561 1626 フランシス・ベーコン 1566 1625 ジェームズ1世 1600 「ハムレット」の完成 1600 イギリス東インド会社設立 1602 オランダ東インド会社設立 1559 1626 ヌルハチ 1600 イギリス東インド会社設立 1602 オランダ東インド会社設立 1530 1584 イヴァン4世 1532 1585 イェルマーク・チモフェーイェヴィチ 1598 シビル・ハン国の滅亡 Tooltip

参考書籍

表紙 三方ヶ原の戦い―戦史ドキュメント
著者 小和田哲男
出版社 Gakken
サイズ 文庫
発売日 2000年11月
価格 627円(税込)
ISBN 9784059010166
元亀三年十月、甲府に発った二万五千の武田軍は、遠江の三方ヶ原の戦いで徳川家康を撃破し、そのすごさを天下に知らしめた。この遠征を真の目的とはいったい何だったのか?はたして信玄に天下盗りの野望はあったのか?戦国史研究の第一人者が、豊富な資料を駆使して三方ヶ原までの道程を詳しく分析しつつ、緻密な推理で“戦国史の謎”に迫る。
 

三方ヶ原の戦い付近の地図

行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:三方ヶ原古戦場跡

井伊直虎ゆかりの地

井伊直虎
1560年(永禄3年)、桶狭間の戦い井伊直盛 (いいなおもり) が戦死し、その跡を継いだ井伊直親 (いいなおちか) は1562年(永禄5年)に小野道好 (おのみちよし) の讒言によって今川氏真 (いまがわいじざね) に殺された。
井伊家では跡継ぎが絶えてしまったため、出家していた直盛の娘・次郎法師を還俗させ、1565年(永禄8年)、井伊直虎 (いいなおとら) と名を変えて井伊氏の当主とした。

近隣の情報

この付近でネットができる宿

(この項おわり)
header