
延期に反発したシン・フェイン党は、1916年4月24日、武装蜂起した。復活祭の日であったことから、イースター蜂起と呼ばれている。ダブリンで激しい市街戦となったが、イギリス軍によって1週間で鎮圧された。

1918年のアイルランド総選挙で勝利したシン・フェイン党は、イギリス本国の議会に出席することを拒否し、1919年1月21日、ダブリンに独自の国民議会を開設し、独立を宣言した。

シン・フェイン党は非暴力主義であったが、アイルランド義勇軍が警官を襲撃したのをきっかけに、イギリス軍の兵舎を襲撃して武器弾薬を奪ったり、待ち伏せしてイギリス兵を狙撃したり、イギリス兵の乗った列車を爆破するなどのゲリラ戦が展開された。
イギリスはゲリラを鎮圧するため、特殊部隊「ブラック・アンド・タン」を派遣し、弾圧を始めた。

国民議会にはアイルランド民族各階層からの協力、支持があり、同時にアイルランド義勇軍にも民衆の支持が寄せられた。一方、イギリスの無差別な弾圧には国際世論の非難が集中した。
1921年12月、イギリスは義勇軍と休戦条約を結び、さらに国民議会とイギリス・アイルランド条約を結んだ。
アイルランドでは、1919年から21年までを独立戦争(Cogadh na Saoirse)と呼んでいるが、イギリス側はこれを戦争とは認めず争乱としている。

さて、イギリス・アイルランド条約は、ケルトの魔術師と呼ばれるロイド・ジョージの考案とされ、アイルランドをプロテスタントの多い北部とカトリックの優勢な南部に分割するものであった。
南部26州はアイルランド自由国として、独自の憲法と議会を持ちながらイギリス帝国を構成する自治領として形式的に独立した。自治領とはカナダ、オーストラリアなど同じでもので、ドミニオンといわれた。第二次世界大戦後の1949年にはイギリス連邦から離脱しアイルランド共和国となる。
一方、北アイルランド6州はプロテスタントが多く、カトリックによる支配を嫌ったことと、ベルファーストなどの都市の工業化が進んでいたのでイギリス経済との分離を嫌った資本家層が反対したため、イギリス連合王国に留まり、自治議会をが設けられることとなった。
北アイルランドでは、その後もカトリック系住民によるプロテスタントとイギリス政府に対する激しい反発が続いた。第二次世界大戦後もカトリック勢力はアイルランドとの合併をめざし、1969年にアイルランド共和軍(IRA)を結成し、70~80年代に激しいテロ攻勢を行うことになる。
1989年になり、労働党のブレア政権によって和平が成立したものの、IRAは武装解除に応じていない。

1918年のアイルランド総選挙で勝利したシン・フェイン党は、イギリス本国の議会に出席することを拒否し、1919年1月21日、ダブリンに独自の国民議会を開設し、独立を宣言した。

シン・フェイン党は非暴力主義であったが、アイルランド義勇軍が警官を襲撃したのをきっかけに、イギリス軍の兵舎を襲撃して武器弾薬を奪ったり、待ち伏せしてイギリス兵を狙撃したり、イギリス兵の乗った列車を爆破するなどのゲリラ戦が展開された。
イギリスはゲリラを鎮圧するため、特殊部隊「ブラック・アンド・タン」を派遣し、弾圧を始めた。

国民議会にはアイルランド民族各階層からの協力、支持があり、同時にアイルランド義勇軍にも民衆の支持が寄せられた。一方、イギリスの無差別な弾圧には国際世論の非難が集中した。
1921年12月、イギリスは義勇軍と休戦条約を結び、さらに国民議会とイギリス・アイルランド条約を結んだ。
アイルランドでは、1919年から21年までを独立戦争(Cogadh na Saoirse)と呼んでいるが、イギリス側はこれを戦争とは認めず争乱としている。

さて、イギリス・アイルランド条約は、ケルトの魔術師と呼ばれるロイド・ジョージの考案とされ、アイルランドをプロテスタントの多い北部とカトリックの優勢な南部に分割するものであった。
南部26州はアイルランド自由国として、独自の憲法と議会を持ちながらイギリス帝国を構成する自治領として形式的に独立した。自治領とはカナダ、オーストラリアなど同じでもので、ドミニオンといわれた。第二次世界大戦後の1949年にはイギリス連邦から離脱しアイルランド共和国となる。
一方、北アイルランド6州はプロテスタントが多く、カトリックによる支配を嫌ったことと、ベルファーストなどの都市の工業化が進んでいたのでイギリス経済との分離を嫌った資本家層が反対したため、イギリス連合王国に留まり、自治議会をが設けられることとなった。
北アイルランドでは、その後もカトリック系住民によるプロテスタントとイギリス政府に対する激しい反発が続いた。第二次世界大戦後もカトリック勢力はアイルランドとの合併をめざし、1969年にアイルランド共和軍(IRA)を結成し、70~80年代に激しいテロ攻勢を行うことになる。
1989年になり、労働党のブレア政権によって和平が成立したものの、IRAは武装解除に応じていない。
この時代の世界
参考サイト
- アイルランド問題:世界史の窓
- 終わり方が分からない北アイルランド紛争
- 1916年イースター蜂起100周年:ナオコガイドのアイルランド日記
- 麦の穂をゆらす風:ポップポップコーン
(この項おわり)
1905年、アイルランドの独立をめざすシン・フェイン党が結成された。
1914年、イギリス議会でアイルランド自治法が成立したが、第一次世界大戦の勃発によって実施が延期されることなった。