
また、ゴジラが吐く放射能で炎上した銀座松坂屋も、「演技でもない」と激怒したという。それほど社会に影響を与えた作品だった。

1955年(昭和30年)4月24日に、第2作『ゴジラの逆襲』が公開された。怪獣アンギラスが登場し、ゴジラとの戦いを中心に話が進み、反核の色合いが薄まった。興行収入は1億7千万円で第1作を上回ったのだが、1962年(昭和37年)までゴジラ映画は制作されなかった。

1955年(昭和30年)4月24日に、第2作『ゴジラの逆襲』が公開された。怪獣アンギラスが登場し、ゴジラとの戦いを中心に話が進み、反核の色合いが薄まった。興行収入は1億7千万円で第1作を上回ったのだが、1962年(昭和37年)までゴジラ映画は制作されなかった。
昭和ゴジラ
1962年(昭和37年)8月11日に、第3作『キングコング対ゴジラ』が公開される。キングコングの権利を所有していたRKO社とのライセンス提携作品で、両者の戦いを描く娯楽作品となった。
1964年(昭和39年)4月29日に、1961年(昭和36年)に公開された東宝の怪獣映画『モスラ』の続編となる第4作『モスラ対ゴジラ』が公開される。ザ・ピーナッツが演じる双子の小美人が印象的だった。
1965年(昭和40年)12月20日に公開された第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』からお正月の娯楽映画として定着する。
ところがマンネリ化が進み、1975年(昭和50年)に公開された第15作『メカゴジラの逆襲』で観客動員数が100万人を割り、1984年(昭和59年)まで制作を休止する。ここまでの作品は、のちに昭和ゴジラと呼ばれるようになる。

ゴジラが南太平洋から日本をめがけて北上するのは、第五福竜丸の悪夢もあったが、特撮円谷英二をはじめとして、スタッフの多くが何らかの形で南方戦線に関わっていたためとも言われている。これは、1961年(昭和36年)公開の特撮怪獣映画「モスラ」で一層鮮明となる。
1964年(昭和39年)4月29日に、1961年(昭和36年)に公開された東宝の怪獣映画『モスラ』の続編となる第4作『モスラ対ゴジラ』が公開される。ザ・ピーナッツが演じる双子の小美人が印象的だった。
1965年(昭和40年)12月20日に公開された第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』からお正月の娯楽映画として定着する。
ところがマンネリ化が進み、1975年(昭和50年)に公開された第15作『メカゴジラの逆襲』で観客動員数が100万人を割り、1984年(昭和59年)まで制作を休止する。ここまでの作品は、のちに昭和ゴジラと呼ばれるようになる。

ゴジラが南太平洋から日本をめがけて北上するのは、第五福竜丸の悪夢もあったが、特撮円谷英二をはじめとして、スタッフの多くが何らかの形で南方戦線に関わっていたためとも言われている。これは、1961年(昭和36年)公開の特撮怪獣映画「モスラ」で一層鮮明となる。
平成ゴジラ
第15作から8年が経過するとゴジラ映画再開の気運が高まり、1984年(昭和59年)12月15日に第16作『ゴジラ』が公開される。第1作のゴジラとは別の個体という設定で、新宿の高層ビル街に現れる。都市の高層化に合わせ、ゴジラの身長は50メートルから80メートルに大型化した(第18作『ゴジラvsキングギドラ』以降は100メートル)。観客動員数320万人、配給収入17億円で、この年の邦画第2位となった。
その後、1995年(平成7年)12月9日の第22作『ゴジラvsデストロイア』までを平成ゴジラと呼ぶ。どの作品も昭和ゴジラを踏襲した対決ものとなっている。
その後、1995年(平成7年)12月9日の第22作『ゴジラvsデストロイア』までを平成ゴジラと呼ぶ。どの作品も昭和ゴジラを踏襲した対決ものとなっている。
ミレニアムシリーズ
1999年(平成11年)12月11日に公開された第23作『ゴジラ2000 ミレニアム』から、2004年(平成16年)12月4日の第28作『ゴジラ FINAL WARS』までをミレニアムシリーズと呼ぶ。
CGを多用し、ミニチュアのスケールも大型化することでリアル感を出そうと試みたが、いかんせん、当時のCG技術には限界があった。

ゴジラは着ぐるみになっており、実際には中の人(スーツアクター)が演技をしている。2004年(平成16年)の第28作「ゴジラ FINAL WARS」まで、この方式がとられており、日本の特撮映画の真骨頂となった。アメリカの人形アニメ特撮とは一線を画す。
第1作から1972年(昭和47年)の第12作「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」までの18年間、中島春雄(1929年~2017年)がスーツアクターを務めた。
中島春雄は、特撮テレビドラマのウルトラシリーズでも数多くの怪獣役として出演しており、ウルトラマンのスーツアクターであった新人の古谷敏は大いに勉強させられたという。
平成ゴジラのスーツアクターは、第11作『ゴジラ対ヘドラ』でヘドラのスーツアクターだった薩摩剣八郎(1947年=2023年)が担当した。

この他、東宝が制作に直接関わっていない作品としては、米トライスター ピクチャーズの『GODZILLA』(1998年公開)、米レジェンダリー・ピクチャーズの『GODZILLA ゴジラ』(2014年版)、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019年公開)、『ゴジラvsコング』(2021年公開)、日本のポリゴン・ピクチュアズによる3Dアニメの『GODZILLA』(2017年~2018年(平成30年)、全3部作)、日本のボンズとオレンジによるテレビアニメ『ゴジラ S.P <シンギュラポイント>』(2021年、全13話)などがある。
CGを多用し、ミニチュアのスケールも大型化することでリアル感を出そうと試みたが、いかんせん、当時のCG技術には限界があった。

ゴジラは着ぐるみになっており、実際には中の人(スーツアクター)が演技をしている。2004年(平成16年)の第28作「ゴジラ FINAL WARS」まで、この方式がとられており、日本の特撮映画の真骨頂となった。アメリカの人形アニメ特撮とは一線を画す。
第1作から1972年(昭和47年)の第12作「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」までの18年間、中島春雄(1929年~2017年)がスーツアクターを務めた。
中島春雄は、特撮テレビドラマのウルトラシリーズでも数多くの怪獣役として出演しており、ウルトラマンのスーツアクターであった新人の古谷敏は大いに勉強させられたという。
平成ゴジラのスーツアクターは、第11作『ゴジラ対ヘドラ』でヘドラのスーツアクターだった薩摩剣八郎(1947年=2023年)が担当した。

この他、東宝が制作に直接関わっていない作品としては、米トライスター ピクチャーズの『GODZILLA』(1998年公開)、米レジェンダリー・ピクチャーズの『GODZILLA ゴジラ』(2014年版)、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019年公開)、『ゴジラvsコング』(2021年公開)、日本のポリゴン・ピクチュアズによる3Dアニメの『GODZILLA』(2017年~2018年(平成30年)、全3部作)、日本のボンズとオレンジによるテレビアニメ『ゴジラ S.P <シンギュラポイント>』(2021年、全13話)などがある。
シン・ゴジラ以降
この時代の世界
参考書籍
![]() |
怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄 | ||
著者 | 中島春雄 | ||
出版社 | 洋泉社 | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 2010年07月 | ||
価格 | 3,190円(税込) | ||
ISBN | 9784862485892 | ||
特撮の神様・円谷英二が最も信頼した役者、中島春雄の半生ー。 | |||
![]() |
モスラの精神史 | ||
著者 | 小野俊太郎 | ||
出版社 | 講談社 | ||
サイズ | 新書 | ||
発売日 | 2007年07月 | ||
価格 | 836円(税込) | ||
ISBN | 9784062879019 | ||
なぜ蛾の姿なのか?あの歌の意味はなにか?ゴジラとどこが違うのか?多くの謎が、いま解き明かされる。 | |||
![]() |
ウルトラマンになった男 | ||
著者 | 円谷プロダクション/古谷 敏 | ||
出版社 | 小学館 | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 2009年12月21日頃 | ||
価格 | 1,870円(税込) | ||
ISBN | 9784093878944 | ||
ウルトラマンのスーツアクター初の回想録 古谷敏氏は初代ウルトラマンのスーツアクターとして以後数十年にわたるウルトラマンシリーズのアクションの原型を作り上げました。本書はその円谷プロの特撮現場における1年間の苦労と知られざるエピソードを生々しく描いた初めての回想録です。 最初の撮影でスペシウム光線のポーズが決まるまでの一部始終、ややあの少し猫背のポーズの由来。また、ウルトラセブン・アマギ隊員役から、イベント会社の設立に至る経緯など、当事者本人の心の動きが時間の経過とともに詳述されている点、当事者本人しか持っていない、かつ本人しか許可を取れない新発見の写真の掲載、などの点で、ファン垂涎の書籍です。円谷プロダクションの全面協力をいただきました。 構成/第1章 ウルトラマンへの道、第2章 過酷な撮影現場、第3章 ウルトラセブン〜独立、最終章 四十年後 | |||
(この項おわり)
「ゴジラ」は、同じ年の3月1日にビキニ島の核実験によって起きた第五福竜丸被爆事件をきっかけに制作された。太古の恐竜の生き残りが水爆によって50メートルに巨大化したという設定。
観客動員数は961万人を記録し、その年の邦画の興行記録を塗り替えた。
東京に上陸したゴジラは、銀座和光ビルの時計台を壊す、和光本社はこれに激怒し、以後2年間ほど、東宝の一切のロケ使用を許可しなかったという。