
チキンラーメン - 1958年(昭和33年)発売当時のもの
1948年(昭和23年)に日清食品の前身である中交総社を創業した安藤百福は、大阪・梅田の闇市でラーメン屋台に並ぶ行列を見て、「もっと手軽にラーメンを食べさせてやりたい」と一念発起し、自宅の敷地内に作業小屋を建てて即席麺の開発に取り組んだ。
ある日、安藤家の夕食の主菜だった天ぷらの調理法を見て受けた印象や食感をヒントに、「油の熱で乾かす」瞬間油熱乾燥法を思いついたといわれている。
日清食品のインスタントラーメン発明記念館(大阪府池田市満寿美町8-25)には、チキンラーメンを開発した作業小屋が復刻・展示されている。

清朝最後の皇帝で満州国皇帝になった愛新覚羅溥儀は、晩年にチキンラーメンを好物とし、死ぬ間際に弟・溥傑に嫁いだ日本人の浩に「日本のチキンラーメンを食べたい」と語っていたという。
ある日、安藤家の夕食の主菜だった天ぷらの調理法を見て受けた印象や食感をヒントに、「油の熱で乾かす」瞬間油熱乾燥法を思いついたといわれている。
日清食品のインスタントラーメン発明記念館(大阪府池田市満寿美町8-25)には、チキンラーメンを開発した作業小屋が復刻・展示されている。

清朝最後の皇帝で満州国皇帝になった愛新覚羅溥儀は、晩年にチキンラーメンを好物とし、死ぬ間際に弟・溥傑に嫁いだ日本人の浩に「日本のチキンラーメンを食べたい」と語っていたという。

カップヌードル
その後、安藤はアメリカ進出を考えるが、「どんぶり」という食器がアメリカにはないことに苦慮していた。そんな時、スーパーマーケットの店員がチキンラーメンを二つ折りにして紙コップで作るのを見て、カップ麺の発想が生まれたという。

こうして、1971年(昭和46年)9月18日、世界初のカップ麺「カップヌードル」を発売。当時の価格は100円。アメリカを皮切りとして、世界中に販路を広げていった。

こうして、1971年(昭和46年)9月18日、世界初のカップ麺「カップヌードル」を発売。当時の価格は100円。アメリカを皮切りとして、世界中に販路を広げていった。
1972年(昭和47年)2月、あさま山荘事件のテレビ中継放送で、厳寒の中、湯気の上がるカップヌードルを食べる機動隊員の姿が映され、視聴者は何を食べているのか興味を持った。これが事実上の宣伝となって、国内でも爆発的な売れ行きを示した。この時、日清食品は市価の半額で警察にカップヌードルを提供していた。

安藤百福は、2007年(平成19年)、日清食品の年頭所感で「企業在人 成業在天」というメッセージを残した直後に他界した。

安藤百福は、2007年(平成19年)、日清食品の年頭所感で「企業在人 成業在天」というメッセージを残した直後に他界した。
この時代の世界
参考書籍
インスタントラーメン発明記念館付近の地図
【鉄道】
- 阪急電車宝塚線「池田駅」下車(阪急梅田駅から急行で約20分)満寿美町方面出口から徒歩約5分
(この項おわり)
商業的に成功した世界初の即席麺である。