実用コンピュータ「ENIAC」
世界初のデジタルコンピュータ「アタナソフ&ベリー・コンピュータ」
なお、1937年から1942年にかけて、アメリカ人科学者のジョン・アタナソフとクリフォード・E・ベリーがアイオワ州立大学で開発したアタナソフ&ベリー・コンピュータ(略称:ABCマシン)は、1939年に試作機が完成した。1973年のミネアポリス連邦地方裁判所の判決により世界初のデジタルコンピュータとして認められている。
ABCは、真空管約300本を使い、連立方程式を解くために特化された電子計算機だったが、二進数を用いて電子的に計算を行うことや、計算部分とメモリ部分を分離することなど、現在のデジタル・コンピュータの特性を備えていた。プログラム内蔵方式ではないものの、並列コンピューティングや再生式メモリという発明まで織り込まれている。
この功績により、アタナソフは1990年に大統領ジョージ・H・W・ブッシュ(当時)からアメリカ国家技術賞を授与された。
この功績により、アタナソフは1990年に大統領ジョージ・H・W・ブッシュ(当時)からアメリカ国家技術賞を授与された。
世界初のプログラム可能なデジタルコンピュータ「Colossus Mark I」
プログラム内蔵式ではなく、プラグ盤とスイッチ群を操作して配線を変更することで計算式を変更できた。ただし、計数とブール演算という暗号解読に特化した設計であった。
コンピュータ「Zuse Z3」完成
1935年から Zuse Z1 を設計したドイツ人のコンラート・ツーゼは、2進法とリレー回路を使った Zuse Z3 を1941年に完成させ、ドイツ航空機研究所で翼のフラッター現象の統計解析に利用された。
紙テープを使ってプログラムをすることが可能だったが、条件分岐命令は備えていない。浮動小数点演算において、正の無限大・負の無限大・未定義という値をとることができた。
紙テープを使ってプログラムをすることが可能だったが、条件分岐命令は備えていない。浮動小数点演算において、正の無限大・負の無限大・未定義という値をとることができた。
世界初の実用的なプログラム内蔵コンピュータ「EDSAC」
ENIACを開発したエッカートとモークリーは、それが完成する前から2進数を使ってプログラム内蔵方式とする EDVAC を設計しており、1945年に数学者ジョン・フォン・ノイマンと検討した結果を『EDVACに関する報告書の第一草稿』として公表した。
これに刺激を受けたイギリスの計算機科学者モーリス・ウィルクスとケンブリッジ大学の数学研究所のチームは、1949年5月に、3000本の真空管からなるプログラム内蔵方式の実用コンピュータ EDSACを完成させ、0から99までの整数の二乗の表と素数表を作った。
この時代の世界
参考書籍
参考サイト
- 近代科学資料館は日本一の計算機コレクション:ぱふぅ家のホームページ
- ENIAC誕生50周年記念 ~その歴史を追って~:日本ユニシス
(この項おわり)
間もなく終戦を迎えるが計算機の開発は続けられ、1946年2月14日、ペンシルベニア大学で初めて公開された。これが ENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)である。
ENIACは1万7千本あまりの真空管を用いており、幅24メートル、高さ2.5メートル、奥行き0.9メートル、総重量30トンに及ぶ巨大な計算装置で、消費電力は150キロ・ワットに達した。
ENIACは2進法ではなく10進法により計算を行い、1秒間に5千回の加算、14回の乗算を行うことができた。しかし、プログラムを変更するためには人力で配線を変える必要があり、この点で現在のプログラム内蔵式コンピュータとは大きく異なる。
エッカートとモークリーは、その後、UNIVACの開発に着手。アメリカ合衆国統計局から開発資金を得て1951年に完成した世界初の商業コンピュータ「UNIVAC I」は、翌年のアメリカ大統領選挙の開票予測に使われた。UNIVAC I は、世界初のメインフレーム(大型電算機、汎用機)とされている。