
仏軍外人部隊兵士に尋問されるベトミン兵容疑者
1945年8月15日、太平洋戦争における日本の敗戦を受け、日本軍に対する抵抗運動を主導してきたホー・チ・ミンがベトナム民主共和国の成立を宣言した。しかし、これを認めない旧宗主国フランスは、1946年、武力攻撃を開始し、第一次インドシナ戦争が始まった。

ホー・チ・ミン

バオ=ダイ帝
当初、フランスはベトナムの首都ハノイを抑えており、戦況は優位であった。しかし、ベトミン軍のゲリラ攻撃に悩まされ、農村部を思うように支配できず、戦闘は長期化した。
1949年、フランスはバオ=ダイ帝を擁立してベトナム国を樹立した。
アメリカはフランスによる植民地化を批判したが、1949年10月、中華人民共和国が成立したことで、アジアへの共産主義の波及を懸念し、フランス軍を全面的に支援した。こうして、インドシナ戦争は国際問題となっていった。
1949年、フランスはバオ=ダイ帝を擁立してベトナム国を樹立した。
アメリカはフランスによる植民地化を批判したが、1949年10月、中華人民共和国が成立したことで、アジアへの共産主義の波及を懸念し、フランス軍を全面的に支援した。こうして、インドシナ戦争は国際問題となっていった。

ヴィンイエンの戦い
1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると、アメリカはカンボジアに戦力を投入しにくくなっていった。
1951年、ベトミン軍は反攻に出た。フランス軍はヴィンイエンの戦いで新兵器ナパーム弾を投入するが、ベトミン軍の攻勢を止めることはできなかった。
1951年、ベトミン軍は反攻に出た。フランス軍はヴィンイエンの戦いで新兵器ナパーム弾を投入するが、ベトミン軍の攻勢を止めることはできなかった。

ディエンビエンフーの戦い
1953年11月、フランスはディエンビエンフーに3個の空挺大隊が降下させ、12,000人の兵力と火砲を配備した。
一方、ベトミン軍は4個師団を集結を終結し、1954年3月、人海戦術でディエンビエンフーを攻撃した。4月、フランス軍はハノイからの増援を得るものの、5月7日、ディエンビエンフーは陥落する。
一方、ベトミン軍は4個師団を集結を終結し、1954年3月、人海戦術でディエンビエンフーを攻撃した。4月、フランス軍はハノイからの増援を得るものの、5月7日、ディエンビエンフーは陥落する。

ジュネーヴ休戦協定
フランスはベトナム民主共和国と和平交渉を開始し、1954年7月、関係国の間でジュネーヴ休戦協定が締結された。
協定に参加しなかったアメリカは、1955年10月、傀儡政権のベトナム共和国(南ベトナム)を樹立。ホー・チ・ミンが率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)と対立し、1965年のベトナム戦争へと続く。
協定に参加しなかったアメリカは、1955年10月、傀儡政権のベトナム共和国(南ベトナム)を樹立。ホー・チ・ミンが率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)と対立し、1965年のベトナム戦争へと続く。
この時代の世界
(この項おわり)