1985年(昭和60年)12月、セガ・エンタープライゼスは疑似3Dシューティングゲームのアーケードゲーム機『スペースハリアー』を発売する。主人公ハリアーの動きに合わせて筐体が動き、シートベルトまで備えた「ローリングタイプ」の出荷価格は166万円。1プレイ200円という価格にもかかわらず、ゲーマの注目を集め、筐体の周りには順番待ちの行列ができるようになり、ゲームセンターにおけるセガの名前を不動のものにした。
1985年(昭和60年)2月に風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)が改正され、24時間営業のゲームセンターが姿を消した。これに対抗するかのように、各メーカーは、『魔界村』(カプコン)、『影の伝説』(タイトー)、『グラディウス』(コナミ)、『ドラゴンバスター』(ナムコ)といった、現代に語りつがれる名作アーケードゲーム機を送り出した。
そして、年末に満を持して登場したのが『スペースハリアー』である。開発は鈴木裕、音楽は川口博史が担当した。

宇宙の果てにある平和なドラゴンランドは、凶悪な魔生物の襲撃を受け、魔生物や破壊マシーンの巣窟と化していた。ドラゴンランドの守護龍ユーライアから救援の声をキャッチした若き超能力戦士ハリアーは、ドラゴンランドの危機を救うべく、超能力キャノンを手に単身ドラゴンランドへと向かう――。
当時のゲームには、こうした背景説明が付きものなのだが、要するに、ハリアーを操作して、前面から次々に迫ってくる敵キャラを打ちまくるシューティングゲームである。ハリアーは超能力によって空を飛ぶことができるので、戦闘機のような操縦桿を使って操作する。座席に安全ベルトが着いているのは、このためである。

当初は、「動く筐体」という物珍しさが先行したが、グラフィックカラー32,000色という中間色を使って描かれた美しいキャラクターや背景、そして、全18面にキャラクター容量1.2メガバイトという膨大な数のキャラクターや障害物が登場し、2Dであるにもかかわらず3Dの動きをしているようにみせる演出を可能にする処理速度が話題になった。
こららを支える専用基板には、16ビットCPUのMC68000(10MHz)が2基、8ビットCPUの Z80(4MHz)が1基、サウンドはYAMAHAのFM音源YM2203(4MHz)とセガのオリジナルPCM音源が搭載された。

普及しはじめていたホビー・パソコンへの移植はほぼ不可能というハードウェア・スペックであったが、それをものともせず、多くのプログラマが移植に挑戦した。
1年後の1986年(昭和61年)12月に、本家セガが、ホビーパソコンと同じ設計の「セガ・マークIII」に、大容量2メガROMカートリッジを使って移植した。キャラクター表示や音源は本家に遠く及ばないものの、疑似3Dシューティングの部分は再現している。
1987年(昭和62年)に入ると、電波新聞社が、NECの8ビット・パソコンPC-6001/6601へ移植した。ハリアー以外のキャラは四角形で、速度を稼ぐために、アナログモニターの色にじみを利用するという奇想天外な方法で疑似3Dシューティングを再現した。
シャープの16ビット・パソコン「X68000」にも移植された。本家と同じCPUを搭載しているとはいえ、1基のみであるため完全再現とはいかず、細かい部分での省略が見られる。
1987年(昭和62年)にはグラフィック描画専用CPUを搭載したパソコン「FM77AV」に、1988年(昭和63年)には同じくグラフィック描画専用CPUを搭載した家庭用ゲーム機「PCエンジン」に移植された。それまでの移植版に比べ、本家に近づいてきた。

宇宙の果てにある平和なドラゴンランドは、凶悪な魔生物の襲撃を受け、魔生物や破壊マシーンの巣窟と化していた。ドラゴンランドの守護龍ユーライアから救援の声をキャッチした若き超能力戦士ハリアーは、ドラゴンランドの危機を救うべく、超能力キャノンを手に単身ドラゴンランドへと向かう――。
当時のゲームには、こうした背景説明が付きものなのだが、要するに、ハリアーを操作して、前面から次々に迫ってくる敵キャラを打ちまくるシューティングゲームである。ハリアーは超能力によって空を飛ぶことができるので、戦闘機のような操縦桿を使って操作する。座席に安全ベルトが着いているのは、このためである。

当初は、「動く筐体」という物珍しさが先行したが、グラフィックカラー32,000色という中間色を使って描かれた美しいキャラクターや背景、そして、全18面にキャラクター容量1.2メガバイトという膨大な数のキャラクターや障害物が登場し、2Dであるにもかかわらず3Dの動きをしているようにみせる演出を可能にする処理速度が話題になった。
こららを支える専用基板には、16ビットCPUのMC68000(10MHz)が2基、8ビットCPUの Z80(4MHz)が1基、サウンドはYAMAHAのFM音源YM2203(4MHz)とセガのオリジナルPCM音源が搭載された。

普及しはじめていたホビー・パソコンへの移植はほぼ不可能というハードウェア・スペックであったが、それをものともせず、多くのプログラマが移植に挑戦した。
1年後の1986年(昭和61年)12月に、本家セガが、ホビーパソコンと同じ設計の「セガ・マークIII」に、大容量2メガROMカートリッジを使って移植した。キャラクター表示や音源は本家に遠く及ばないものの、疑似3Dシューティングの部分は再現している。
1987年(昭和62年)に入ると、電波新聞社が、NECの8ビット・パソコンPC-6001/6601へ移植した。ハリアー以外のキャラは四角形で、速度を稼ぐために、アナログモニターの色にじみを利用するという奇想天外な方法で疑似3Dシューティングを再現した。
シャープの16ビット・パソコン「X68000」にも移植された。本家と同じCPUを搭載しているとはいえ、1基のみであるため完全再現とはいかず、細かい部分での省略が見られる。
1987年(昭和62年)にはグラフィック描画専用CPUを搭載したパソコン「FM77AV」に、1988年(昭和63年)には同じくグラフィック描画専用CPUを搭載した家庭用ゲーム機「PCエンジン」に移植された。それまでの移植版に比べ、本家に近づいてきた。
雑誌『Oh!X』1988年(昭和63年)10月号に、シャープのパソコン「MZ-700」へ移植したダンプリストが掲載された。テキスト表示機能しか持たないMZ-700であるが、疑似27色、40×25画素のモザイク画面で疑似3Dシューティングを再現し「MZ-700に不可能はない」シリーズの1つとなっている。
1989年(昭和64年)に任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータに移植された。
1994年(平成6年)に、セガの家庭用ゲーム機「メガドライブ」のアタッチメントユニット「スーパー32X」を使った移植版が発売された。グラフィックやサウンドがほぼアーケード版と遜色のないレベルで移植がなされた。
21世紀に入っても移植は続いており、ドリームキャストやPlayStation 3/4では、ゲーム本編内にあるゲーセンで遊べるミニゲームとして登場する。
2012年(平成24年)12月に「ニンテンドー3DS」に移植されたものは3DSの裸眼立体視に対応し、ローリングタイプのアーケード筐体をプレイした気分を味わえるように、自キャラの動作に合わせて映像がローテートするモードを備えている。
1994年(平成6年)に、セガの家庭用ゲーム機「メガドライブ」のアタッチメントユニット「スーパー32X」を使った移植版が発売された。グラフィックやサウンドがほぼアーケード版と遜色のないレベルで移植がなされた。
21世紀に入っても移植は続いており、ドリームキャストやPlayStation 3/4では、ゲーム本編内にあるゲーセンで遊べるミニゲームとして登場する。
2012年(平成24年)12月に「ニンテンドー3DS」に移植されたものは3DSの裸眼立体視に対応し、ローリングタイプのアーケード筐体をプレイした気分を味わえるように、自キャラの動作に合わせて映像がローテートするモードを備えている。
参考サイト
- スペースハリアー:セガ
- ゲームとシンクロして動く体感筐体に大興奮! 『スペースハリアー』:ゲーム文化保存研究所
この時代の世界
(この項おわり)