
1976年(昭和51年)2月6日、アメリカ上院外交委員会の証言において、アメリカのロッキード社の航空機売り込みに際し、日本の政界の一部に多額の工作資金が賄賂として渡された事件が発覚。のちにロッキード事件と呼ばれるようになる。
7月27日、受託収賄・外国為替管理法違反容疑で事件当時の首相・田中角栄をはじめ政治家や航空会社・商社関係者らが逮捕された。
この日は「政治を考える日」となった。

田中角栄は、1972年(昭和47年)6月、『日本列島改造論』をぶち上げ、7月6日、総理となった。9月には中国を訪問し、周恩来首相や毛沢東共産党主席と会談し、日中国交正常化を実現した。
しかし、1973年(昭和48年)10月、第四次中東戦争からオイルショックが発生し、景気は大きく後退した。翌1974年(昭和49年)10月、文藝春秋が立花隆の「田中角栄研究」を掲載し、田中金脈問題を追求。総理在任2年5ヵ月で退陣することとなる。
1985年(昭和60年)2月27日、脳梗塞で倒れ、翌1986年(昭和61年)7月の総選挙でトップ当選を果たすものの、政治活動はできなくなっていた。1990年(平成2年)1月、政界を引退。
1993年(平成5年)12月16日、75歳で死去。ロッキード事件は上告審の審理途中で公訴棄却となる。有罪判決を受けた刑事被告人のまま死去したため、位階勲章は与えられなかった。
この日は「政治を考える日」となった。

田中角栄は、1972年(昭和47年)6月、『日本列島改造論』をぶち上げ、7月6日、総理となった。9月には中国を訪問し、周恩来首相や毛沢東共産党主席と会談し、日中国交正常化を実現した。
しかし、1973年(昭和48年)10月、第四次中東戦争からオイルショックが発生し、景気は大きく後退した。翌1974年(昭和49年)10月、文藝春秋が立花隆の「田中角栄研究」を掲載し、田中金脈問題を追求。総理在任2年5ヵ月で退陣することとなる。
1985年(昭和60年)2月27日、脳梗塞で倒れ、翌1986年(昭和61年)7月の総選挙でトップ当選を果たすものの、政治活動はできなくなっていた。1990年(平成2年)1月、政界を引退。
1993年(平成5年)12月16日、75歳で死去。ロッキード事件は上告審の審理途中で公訴棄却となる。有罪判決を受けた刑事被告人のまま死去したため、位階勲章は与えられなかった。
この時代の世界
参考書籍
(この項おわり)