
B-52戦略爆撃機

駆逐艦マドックス
ベトコンへの補給路を断つ目的で、1965年(昭和40年)3月、アメリカ軍は北ベトナムへの大規模な空爆(北爆)を開始し、ベトナム戦争が始まった。
1968年(昭和43年)、北ベトナム軍とベトコンによる大規模抗戦(テト攻勢)が始まり、戦争は長期化してゆく。
1968年(昭和43年)、北ベトナム軍とベトコンによる大規模抗戦(テト攻勢)が始まり、戦争は長期化してゆく。

ベトナム人民軍
こうした中、アメリカ国内では反戦運動がはじまるが、北ベトナムとの和平交渉は進展しない。そこで、ニクソン大統領は、1970年(昭和45年)にカンボジアに、1971年(昭和46年)にはラオスに侵攻して北爆を再開、戦火は拡大する。

サイゴン陥落
1973年(昭和48年)、中国の介入などもあり、ようやくパリ和平協定を締結し、アメリカ軍が撤退を開始する。1975年(昭和50年)に南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン市)が陥落し、ベトナム戦争は終結する。結局、ベトナム戦争では第二次世界大戦より2倍以上の多い量の火薬(約630万トン)が使用された。

ベトナム社会主義共和国の国旗
1976年(昭和51年)、南北ベトナムは統一され、ベトナム社会主義共和国が誕生する。
ベトナム戦争の歴史的意義
ベトナム戦争は第二次インドシナ戦争とも呼ばれるが、2つの対立軸があった。
1つ目は、サイゴン政権を介してベトナムを間接支配しようとするアメリカと、ベトナム民族による民族解放闘争の衝突である。結果として、世界最大・最強の経済力と軍事力を持つアメリカが敗れ、民族主義が勝利した。
もう1つは、北ベトナムを支援する社会主義陣営と、南ベトナムを支援する資本主義陣営の代理戦争という性格である。アメリカ陣営には韓国、フィリピン、タイ、オーストラリア、ニュージーランドが兵力を派遣した。一方、ベトナム陣営には社会主義諸国が加わった。結果として、西側陣営が敗れ、ドルを基軸とする西欧の経済体制が根底から揺さぶられることになった。
1つ目は、サイゴン政権を介してベトナムを間接支配しようとするアメリカと、ベトナム民族による民族解放闘争の衝突である。結果として、世界最大・最強の経済力と軍事力を持つアメリカが敗れ、民族主義が勝利した。
もう1つは、北ベトナムを支援する社会主義陣営と、南ベトナムを支援する資本主義陣営の代理戦争という性格である。アメリカ陣営には韓国、フィリピン、タイ、オーストラリア、ニュージーランドが兵力を派遣した。一方、ベトナム陣営には社会主義諸国が加わった。結果として、西側陣営が敗れ、ドルを基軸とする西欧の経済体制が根底から揺さぶられることになった。
この時代の世界
(この項おわり)
政権を打倒するため、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が誕生し、ソ連と中国の支援を受けているベトナム民主共和国(北ベトナム)から支援を受けゲリラ活動を開始する。
資本主義(西側)も社会主義(東側)も、帝国主義に抵抗する形で誕生したのだが、あらたにイデオロギーの対立を生みだした。