
ハサン・サッバーフ

サーヴァント・ハサン
テヘラン南のクムで、シーア派12イマーム派の家に生まれたハサン・サッバーフは、数学・天文学・宗教学を修め、1072年、イスマーイール派の信徒となった。1078年、ファーティマ朝の宮廷に入り、研究活動を行った。
その後、イランで布教活動を行い、1090年には、イラン高原のアラムート城砦を攻略して活動拠点とした。ハサンは山の長老と呼ばれることになる。
1094年、ファーティマ朝第8代カリフ、アル=ムスタンスィル・ビッラーの死後、カリフの後継者問題で廃嫡となったニザールを支持し、ニザール派としてアラムートに独立政権を打ち立てた。
城塞を攻略したり要人を暗殺することでセルジューク朝に対抗し、のちに暗殺教団(アサシン)と呼ばれるようになる。
その後、イランで布教活動を行い、1090年には、イラン高原のアラムート城砦を攻略して活動拠点とした。ハサンは山の長老と呼ばれることになる。
1094年、ファーティマ朝第8代カリフ、アル=ムスタンスィル・ビッラーの死後、カリフの後継者問題で廃嫡となったニザールを支持し、ニザール派としてアラムートに独立政権を打ち立てた。
城塞を攻略したり要人を暗殺することでセルジューク朝に対抗し、のちに暗殺教団(アサシン)と呼ばれるようになる。

アルスラーン
暗殺教団というおどろおどろしい呼称とは異なり、ハサン自身は学者肌の人物だったようである。
セルジューク朝の第2代スルタン、アルプ・アルスラーンの宮廷に出仕し、スンナ派の宰相ニザームルムルクから提出を求められた報告書を短期間で完成させた。しかし、ニザームルムルクの妨害に遭い、アルプ・アルスラーンの前で恥をかかされた。これがきっかけとなり、ハサンはスンナ派を憎むようになったと伝えられている。
セルジューク朝の第2代スルタン、アルプ・アルスラーンの宮廷に出仕し、スンナ派の宰相ニザームルムルクから提出を求められた報告書を短期間で完成させた。しかし、ニザームルムルクの妨害に遭い、アルプ・アルスラーンの前で恥をかかされた。これがきっかけとなり、ハサンはスンナ派を憎むようになったと伝えられている。

マリナ・イスマイール
18世紀に入り、ヨーロッパで東洋学が高まりを見せ、十字軍が伝えた暗殺教団や、マルコ・ポーロが伝えた「山の老人」伝説が、ニザール派を起源とするものだと“同定”された。
近代になり、アーガー・ハーン1世はイギリスの権威を背景に、イマームの地位を取り戻すことに尽力し、孫のアーガー・ハーン3世は72年にわたってイマーム位にあり、世界各地のイスマーイール派の再結集をおこなった。1957年、孫のアーガー・ハーン4世が後を継ぎ、アーガー・ハーン開発財団を組織し、三世界各国で社会福祉活動を行っている。
近代になり、アーガー・ハーン1世はイギリスの権威を背景に、イマームの地位を取り戻すことに尽力し、孫のアーガー・ハーン3世は72年にわたってイマーム位にあり、世界各地のイスマーイール派の再結集をおこなった。1957年、孫のアーガー・ハーン4世が後を継ぎ、アーガー・ハーン開発財団を組織し、三世界各国で社会福祉活動を行っている。
参考書籍
呪われた豪華本と暗殺教団の謎を解く「ルバイヤートの物語」を収録。
この時代の世界
(この項おわり)
ハサン・サッバーフが指導するニザール派は、イラン高原のアラムートに独立政権を打ち立て、後に暗殺教団として伝説になった。