西暦1622年 - ホルムズ奪還

イングランド・ペルシア連合軍がポルトガルを破る
ホルムズ島のポルトガル城塞
ホルムズ島のポルトガル城塞
1622年、ポルトガルに占領されていたホルムズ島を、ジェームズ1世のイングランド王国と、アッバース1世サファヴィー朝の連合軍が10週間包囲し、これを奪還した。
ホルムズは、ペルシャ湾とインドや東アフリカを結ぶ交易の拠点で、ゾロアスター教の神アフラ・マズダーが町の名前の語源となっている。マルコ・ポーロの『東方見聞録』にはコルモスとして紹介されている。
鄭和 (ていわ) は艦隊を率いてインド洋から東アフリカの各地に朝貢を求め、1412年からホルムズを目的地とし、永楽帝の勅書をホルムズ王に手渡している。

1498年、ヴァスコ・ダ・ガマがインド洋航路を開拓すると、1515年にポルトガル船隊がホルムズを支配下に置き、以後、ヨーロッパとインドの貿易を独占した。
アッバース1世
アッバース1世
1588年、クーデターによりサファヴィー朝の第5代シャーとなったアッバース1世は、建国以来要職を独占していたキジルバシ(トルコ系遊牧民のサファヴィー教徒)を排除し内政改革を行った。
1598年には、首都をカズヴィーンからイスファハーンへ遷都する。さらに、シャイバーニー朝のアブドゥッラー2世が死去を狙い、帝国の北西方面にあるウズベク族を討伐し、ホラーサーン地方を奪った。
1603年、アッバース1世はオスマン帝国への対外遠征を開始。1623年、バクダードを奪還する。
ジェームズ1世
ジェームズ1世
アッバース1世は、イングランド王国に絹貿易を保障することでジェームズ1世と同盟を結び、軍隊の近代化を行った。イギリス東インド会社が派遣したイングランド艦隊と連合し、1622年、ホルムズを攻略、奪還する。
ポルトガルのバッキンガム公はイギリス東インド会社を訴えようとしたが、逆に東インド会社はホルムズ占領の戦利品の1割をバッキンガム公に贈ることで、訴えを取り下げさせた。

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(この項おわり)
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