西暦1670年 - フェルマーの最終定理の発見

300年以上にわたって数学者を悩ませ続けた問題
ピエール・ド・フェルマー
ピエール・ド・フェルマー
フランスの裁判官ピエール・ド・フェルマーは数学を趣味としており、\( n \) を \( 3 \) 以上の自然数とするとき、\( x^n + y^n = z^n \) の自然数解は存在しないというメモを書き、「私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」と書き残した。フェルマーの没後の1670年に、彼の息子サミュエルによってフェルマーの書き込み入りの『算術』が刊行されたことで、このメモが“発見”され、フェルマーの最終定理と呼ばれるようになる。
ディオファントス『算術』
ディオファントス『算術』
フェルマー自身は、\( n = 4 \) の場合の証明を行っているが、その後300年以上に渡って数多くの数学者たちの頭を悩ませることになる。フェルマーの最終定理は、無限にある数の組み合わせに対し、それが成り立たないことを証明する、いわば悪魔の証明なのだ。また、この時点では誰も証明していないことから、この命題は「フェルマーの予想」と呼ぶべきであった。
1995年にイギリスの数学者アンドリュー・ワイルズによって完全に証明されたが、その裏には数世紀に渡る、数々の数学者たちのドラマがあった。
レオンハルト・オイラー
レオンハルト・オイラー
フェルマーのメモはラテン語で記されたもので、これを冒頭の方程式に整理したのは数学者で天文学者のレオンハルト・オイラーだった。1760年に、オイラーは \( n = 3 \) の場合の証明に成功した。
ソフィ・ジェルマン
ソフィ・ジェルマン
まだ女性が数学者になることができなかった19世紀初頭、フランスのソフィ・ジェルマン(1776~1831)は独学で数学を学び、女性であることを隠してカール・フリードリヒ・ガウス(1777~1855)と文通を始め、数学の学習を深めた。そのなかで、\( n = 5 \) の場合の証明に成功した。
(左)谷山豊, (右)志村五郎
(左)谷山豊, (右)志村五郎
戦後の日本で位相幾何学の研究をしていた谷山豊 (たにやま とよ) (1927~1958)は、1955年に「すべての楕円曲線は、モジュラー形式で表すことができる」と予想する。ところが、その3年後、谷山は予想を証明しないまま謎の自殺を遂げる。志村五郎 (しむらごろう) は、なき友人のアイデアに理論付けし、「谷山–志村予想」として発表する。
アンドリュー・ワイルズ
アンドリュー・ワイルズ
谷山–志村予想はフェルマーの定理とまったく関係のない分野のものだったが、ドイツの数学者ゲルハルト・フライは「フェルマーの最終定理に解が存在するのであれば、それは楕円曲線で表される」ということを発見した。これを受けて、アメリカの数学者ケン・リベットは「フェルマーの最終定理を表す楕円曲線には、対応するモジュラー形式が存在しない」という予想を立てた。そして、1995年にアンドリュー・ワイルズ((1953~)を証明することに成功した。

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