西暦1677年 - 精子の発見

レーウェンフックは自作顕微鏡で観察
アントニ・ファン・レーウェンフック
アントニ・ファン・レーウェンフック
1677年、オランダの科学者アントニ・ファン・レーウェンフックは、自作の顕微鏡を使って、精液の中に精子を発見した。

精液が生命の源であることは古代ギリシア時代から分かっていたが、その実体が何なのかは長い間謎であった。

織物商だったレーウェンフックは、虫眼鏡を使って生地の品質判定を行っていたが、それが高じて、より高い倍率の顕微鏡を自作するようになった。
フェルメール「天文学者」
フェルメール「天文学者」
1674年、バーケルス湖から採取した水を観察していたレーウェンフックは、これまでに報告のない微小な動く物体を発見した。生物という証拠はなかったが、これを微小動物(アニマクル)と名付けた。
1677年には淋病患者から採取した精液を顕微鏡を使って観察し、精子を発見。「この微小生物は赤血球よりも小さく、形はピーナッツ豆に長い尻尾を付けたようなもので、ウナギが泳ぐように尻尾を動かして前進する」と記録している。
フェルメール「地理学者」
フェルメール「地理学者」
1694年、オランダの科学者ニコラス・ハルトソーケルは、精子の中に小人が体育座りをしている姿をとらえ、ホムンクルスと名付けた。

レーウェンフックと同郷生まれ、同世代の画家ヨハネス・フェルメールがいる。フェルメールが描いた「天文学者」「地理学者」はレーウェンフックをモデルにしたといわれている。
レーウェンフックとの交流を示す記録は残っていないが、レーウェンフックは顕微鏡のスケッチを「絵の上手な画家に描いてもらった」と書き残している。フェルメールが亡くなった1675年の翌年から、レーウェンフックのスケッチのタッチが変わっており、フェルメールの遺産管財人となった。

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