西暦1613年 - 慶長遣欧使節団が出発

支倉常長らがスペインを目指す
支倉常長
伊達政宗 (だてまさむね) は、家臣の支倉常長 (はせくらつねなが) に命じ、スペインとの交易を計画した。1613年(慶長18年)、常長は180人余とともに出向した。

一行は太平洋を東へ向かい、メキシコ経由で、1615年(慶長20年)スペインに到着した。スペイン国王フェリペ2世やローマ教皇パウロ5世に謁見するが、交渉は成立せず、1620年(元和6年)に帰国した。
常長が出向する4年前の1609年(慶長14年)、フィリピン総督ドン・ロドリゴの一行がサンフランシスコ号でメキシコへの帰還する途中に台風に遭い、上総国岩和田村(現在の千葉県御宿町)の海岸で座礁難破するという事故があった。一行は地元民に救助され、徳川家康は、ウィリアム・アダムス(三浦按針)の建造したガレオン船を贈り、ヌエバ・エスパーニャへ送還した。このことをきっかけに、日本とスペインとの交流がはじまっていた。

この時代の世界

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(この項おわり)
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