西暦1862年 - 生麦事件

薩英戦争に発展

いやむつかしい (1862) 生麦事件

生麦村 1862 年、幕府と調停の和解を図る公武合体 (こうぶがったい) を進めるため、薩摩藩(現在の鹿児島県)の島津久光 (しまづひさみつ) は 1000 人の兵を従えて江戸へ向かった。
途中、京都の寺田屋で、天皇を尊び外国人を打ち払う尊攘派 (そんじょうは) の薩摩藩士を斬り殺した。
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また、江戸から帰る途中、生麦村(現在の神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近で、馬に乗ったまま久光の行列を横切ろうとしたイギリス人に薩摩藩士が斬りつけ、そのうちの一人を殺すという生麦事件 (なまむぎじけん) が起きる。
これをきっかけに、翌1863 年 イギリス艦隊が鹿児島湾内に侵攻し、薩摩藩を砲撃するという薩英戦争 (さつえいせんそう) が勃発する。
軍備の点で薩摩藩が圧倒的不利だったにもかかわらず、海が荒れていたことやイギリス側の戦争準備が不足していたことなどから、戦闘は 1 日あまりで終結した。
薩摩藩は、この戦争の経験から攘夷は困難と認識し、以後、イギリスと接近する。
YEAR
1780
1805
1830
1855
1880
1905
 
1796
シーボルト
1866
 
1828
勝海舟
1899
 
1794
ペリー
1858
 
1853
 
ペリー来航
 
1834
福沢諭吉
1901
 
1827
中浜万次郎
1898
 
1824
徳川家定
1858
 
1846
徳川家茂
1866
 
1846
和宮
1877
 
1817
島津久光
1887
 
1859
 
安政の大獄
 
1860
 
桜田門外の変
 
1862
 
生麦事件
 
1864
 
池田屋事件
 
1831
孝明天皇
1866
 
1866
 
薩長同盟
 
1867
 
大政奉還

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(この項おわり)
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