西暦1862年 - 生麦事件

薩英戦争に発展

いやむつかしい (1862) 生麦事件

生麦村
1862 年、幕府と調停の和解を図る公武合体 (こうぶがったい) を進めるため、薩摩藩(現在の鹿児島県)の島津久光 (しまづひさみつ) は 1000 人の兵を従えて江戸へ向かった。
途中、京都の寺田屋で、天皇を尊び外国人を打ち払う尊攘派 (そんじょうは) の薩摩藩士を斬り殺した。
また、江戸から帰る途中、生麦村(現在の神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近で、馬に乗ったまま久光の行列を横切ろうとしたイギリス人に薩摩藩士が斬りつけ、そのうちの一人を殺すという生麦事件 (なまむぎじけん) が起きる。

これをきっかけに、翌1863 年 イギリス艦隊が鹿児島湾内に侵攻し、薩摩藩を砲撃するという薩英戦争 (さつえいせんそう) が勃発する。
軍備の点で薩摩藩が圧倒的不利だったにもかかわらず、海が荒れていたことやイギリス側の戦争準備が不足していたことなどから、戦闘は 1 日あまりで終結した。
薩摩藩は、この戦争の経験から攘夷は困難と認識し、以後、イギリスと接近する。
2013 年(平成 25 年)9 月、生麦事件で殺害された英国人商人チャールズ・リチャードソンの生前の写真が初めて見つかった。これまで知られていたのは、事件直後にシーツで覆われた遺体の写真だけだった。
見つかったのは、立ち姿のリチャードソンが片手を柱に寄せてポーズをとっている写真だ。幕末に日本に滞在した英国人ジェームズ・キャンベル・フレイザーの写真帳にあった。写真帳はフレイザーの子孫で米国在住のデビッド・エバンス(49)の手元にあった。
9 月 14 日から 29 日まで、横浜開港資料館で公開される。
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(この項おわり)
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