西暦1861年 - 南北戦争

アメリカ南部・北部の対立は内戦へ
ゲティスバーグの戦い
独立戦争米英戦争を経たアメリカは、北部と南部における経済基盤の違いが目立ってきた。

産業革命が進行していた北部では、競合するイギリス製品を排除するために保護主義を掲げていた。一方の何部では、植民地時代から続く大農場(プランテーション)で栽培していた綿花をイギリスに輸出するため、奴隷制度と自由貿易を求めていた。
エイブラハム・リンカーン
エイブラハム・リンカーンは共和党候補として大統領選に立候補し、1860年11月6日、第16代大統領に当選する。共和党員としては史上初の大統領であった。

奴隷解放を訴えるリンカーンに対して南部諸州は反感を強め、1861年2月までに南部11州は合衆国を離脱し、ジェファーソン・デイヴィスを大統領とする「アメリカ連邦」を結成する。

1861年3月4日、リンカーンが大統領に就任したことで南北対立は決定的となった。そして4月12日、南部が北部のサムター要塞を攻撃し、南北戦争が始まる。
緒戦はリー将軍の率いる南部が優勢であったが、1862年、リンカーンは奴隷解放宣言を発し、イギリスやフランスから援助を受けるようになる。
1863年、リー将軍は反撃に出るが、ゲティスバーグで敗退する。11月19日、リンカーンは、「人民の人民による人民のための政治」の一節で有名なゲティスバーグの演説を行う。
1864年、グラントが北軍の司令官に就任すると、装備や工業力で劣る南軍は劣勢を強いられ、ついに1865年4月、南部の首都リッチモンドが陥落し、終戦を迎える。

南北戦争はアメリカの内乱ではあるが、動員兵力は北軍が156万人、南軍が90万人。両軍合わせて62万人もの死者を出した世界初の総力戦であった。

終戦直後の1865年4月14日、リンカーン大統領は観劇中のところを南部出身の俳優に狙撃され、絶命する。56歳であった。
リンカーンの奴隷解放宣言は、黒人に市民権や土地所有権を与えたわけではなかった。また、北部の急進派が奴隷解放を急速に進めたため、かえって混乱を招き、黒人差別につながってゆくことになる。
グラント将軍は、その後、アメリカ史上初の陸軍士官出身の大統領として、第18代大統領(1869年~1877年)を務める。

ゲティスバーグ演説と日本国憲法

1946年、GHQ最高指令官として第二次世界大戦後の日本占領の指揮を執ったダグラス・マッカーサーは、憲法草案前文に、ゲティスバーグ演説の有名な一節を織り込んだ。

Government is a sacred trust of the people, the authority for which is derived from the people, the powers of which are exercised by the representatives of the people, and the benefits of which are enjoyed by the people.


この一文はそのまま和訳され、日本国憲法の前文に反映されている。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

この時代の世界

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ゲティスバーグ古戦場の位置

(この項おわり)
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