
富津岬展望台
富津岬(千葉県富津市富津地先)は、小糸川河口付近から東京湾に向かって約5kmにわたって突き出した岬で、観音崎と富津岬を結ぶ線から外海が浦賀水道、内海が東京湾とされている。
大きな写真

(1920×1105ピクセル, 819 Kbyte)
一帯は千葉県立富津公園として整備されている。南房総国定公園の一部。
写真の建物は、岬の突端にある五葉松をかたどった高さ30メートルの明治百年記念展望塔(通称:富津岬展望台)である。晴れた日には展望台から富士山を望むことができ、関東の富士見百景に選ばれている。
写真の建物は、岬の突端にある五葉松をかたどった高さ30メートルの明治百年記念展望塔(通称:富津岬展望台)である。晴れた日には展望台から富士山を望むことができ、関東の富士見百景に選ばれている。

第一海堡
富津岬一帯は、第二次世界大戦まで東京湾防衛の要塞となっており、写真に見えるのは1890年(明治23年)12月に完成した第一海堡と呼ばれる人工島だ。
寛政の改革を主導した老中・松平定信は、外国船の来航に備えて富津岬に台場を設置する必要性を唱えた。定信が失脚した後の1810年(文化7年)、江戸幕府は白河藩に駐屯を命じた。1821年(文政4年)、陣屋が設置された。
明治時代になると、陸軍大将・山縣有朋が国土の要塞化を主張し、1881年(明治14年)8月に第一海堡が起工された。
面積は約23,000km2あり、28cm榴弾砲×14門、19cmカノン砲×1門、12cm速射カノン砲×4門などを備えた海上要塞だった。
土砂の堆積と関東大震災による隆起のため、富津洲と地続きになっていたことがある。
終戦後、連合軍によって中央部が破壊され、現在は海上保安庁によって灯台が設置されている。

この後、1914年(大正3年)に第二海堡が、1921年(大正10年)に第三海堡が完成したが、いずれも関東大震災により被災し、廃棄された。
明治時代になると、陸軍大将・山縣有朋が国土の要塞化を主張し、1881年(明治14年)8月に第一海堡が起工された。
面積は約23,000km2あり、28cm榴弾砲×14門、19cmカノン砲×1門、12cm速射カノン砲×4門などを備えた海上要塞だった。
土砂の堆積と関東大震災による隆起のため、富津洲と地続きになっていたことがある。
終戦後、連合軍によって中央部が破壊され、現在は海上保安庁によって灯台が設置されている。

この後、1914年(大正3年)に第二海堡が、1921年(大正10年)に第三海堡が完成したが、いずれも関東大震災により被災し、廃棄された。
交通アクセス
【鉄道】

- JR青堀駅から日東交通バス富津公園行きで12分、終点下車、徒歩20分

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(この項おわり)