1822年、イギリスの数学者で分析哲学者のチャールズ・バベッジは、多項式関数の値を計算できる機械「階差機関」の設計に取りかかる。イギリス政府からの援助もあったが、開発費が予想を超えて膨らみ、製造計画は頓挫してしまう。
だが、1991年、ロンドン科学博物館のプロジェクトチームが、バベッジの残した設計図を元に、当時の機械工学の技術を超えることなく重さ約3トンの巨大な計算機械を製造し、整数の7乗の数表を作ることに成功した。さらに2000年には印刷機能も実装された。
そして、解析機関へ

チャールズ・バベッジ
失敗にめげることなく、1834年、バベッジは「解析機関」と呼ぶ新たな計算機械の製作に着手した。
これは、演算装置、記憶装置、データ入出力装置からなるもので、今日のコンピュータと同じ機構を備えていた。さらに、パンチカードを使ってプログラムするアイデアまで採り入れられた。そこには、逐次制御、分岐、ループといった制御も含まれている。
パンチカードを使う仕組みは、ジャカード織機を参考にしたと言われている。
これは、演算装置、記憶装置、データ入出力装置からなるもので、今日のコンピュータと同じ機構を備えていた。さらに、パンチカードを使ってプログラムするアイデアまで採り入れられた。そこには、逐次制御、分岐、ループといった制御も含まれている。
パンチカードを使う仕組みは、ジャカード織機を参考にしたと言われている。

エイダ・ラブレス
詩人バイロンの娘エイダ・ラブレス伯爵夫人は、数学者である母アナベラ・ミルバンクの影響を受けており、解析機関に取り組んでいたバベッジを紹介された。エイダはバベッジの弟子として、解析機関のアイデアを理解し、1843年にパンチカードを利用してベルヌーイ数を求めるためのプログラムを開発した。これが世界初のコンピュータ・プログラムとされている。彼女は「ジャカード織機が花や葉を描くように、解析機関は代数学の模様を織り上げる」と書き残している。エイダの名は、1983年に登場したプログラミング言語「Ada」に冠された。
バベッジは完全主義者で、1812年、ジョン・ハーシェルやジョージ・ピーコックらと共に解析協会を設立したが、計算手が書いた対数表が間違いだらけであることに業を煮やし、機械に計算させることを思いついた。これが階差機関の開発動機である。

1824年、数表と天文暦のための計算機関の発明に対し、王立天文学会ゴールドメダルを授与された、
1828年から1839年まで、アイザック・ニュートンやディラック、スティーブン・ホーキングも務めたことがあるケンブリッジ大学の第11代ルーカス教授職に就いていた。
暗号解読や超常現象など、その活躍は多岐にわたった。

だが、彼の完璧主義が災いし、ついにアイデアを実装することができないまま、79年の生涯を閉じた。

1824年、数表と天文暦のための計算機関の発明に対し、王立天文学会ゴールドメダルを授与された、
1828年から1839年まで、アイザック・ニュートンやディラック、スティーブン・ホーキングも務めたことがあるケンブリッジ大学の第11代ルーカス教授職に就いていた。
暗号解読や超常現象など、その活躍は多岐にわたった。

だが、彼の完璧主義が災いし、ついにアイデアを実装することができないまま、79年の生涯を閉じた。
この時代の世界
(この項おわり)