1905年1月22日、ロシア帝国の首都サンクトペテルブルク(現在のペトログラード)で行われてた日露戦争反対デモに対して軍が発砲するという血の日曜日事件が起こる。この事件をきっかけに全国で暴動が起き、各地で労働者と兵士の代表者が評議会(ソビエト)を結成した。
6月、戦艦ポチョムキン号の反乱が起きると、ロシアは日露戦争の継続が難しくなり、アメリカの仲介で日本と講和を結ぶことになる。
この頃、怪僧グリゴリー・ラスプーチンが、祈祷によりアレクセイ皇太子の病気を治していた。ラスプーチンは、皇帝ニコライ2世の信頼を得て、国政にも干渉するようになる。ラスプーチンは1917年に暗殺されるが、毒を盛っても銃撃しても死ななかったといわれる。
翌1915年、監禁先のエカテリンブルクで皇帝一家は全員銃殺される。約300年にわたって続いたロマノフ王朝はここに幕を閉じる。
これに対し、欧米各国と日本が干渉し、シベリア出兵が行われる。
1922年、ソビエト政権は国内を統一し、ソビエト社会主義共和国連邦が誕生する。
レーニンは1924年に死去し、そのあとをスターリンが引き継ぐ。
1922年、ソビエト政権は国内を統一し、ソビエト社会主義共和国連邦が誕生する。
レーニンは1924年に死去し、そのあとをスターリンが引き継ぐ。
この時代の世界
(この項おわり)