西暦1890年 - エルトゥールル号遭難事件

日本とトルコの友好関係の石津家
エルトゥールル号殉難将士慰霊碑(和歌山県串本町)
エルトゥールル号殉難将士慰霊碑(和歌山県串本町)
1890年(明治23年)9月16日夜、オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦「エルトゥールル号」が、折からの台風による強風にあおられ、紀伊半島南端、和歌山県串本町の紀伊大島沖の岩礁地帯で座礁する。
このとき、大島村長の沖周をはじめ、村人が総出で漂着した乗組員の救助に当たり、69名を救出した。この出来事が日本とトルコの友好関係の起点となっている。
樫野崎灯台
樫野崎灯台
現在、和歌山県串本町の樫野崎灯台そばにはエルトゥールル号殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館が立ち、串本町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭が5年ごとに行われている。
開国した日本へ諸外国から多くの船がやって来るようになったが、1886年(明治19年)のノルマントン号事件に代表されるように、船舶の事故も増えていった。
そこで政府は海図を測量するとともに、海岸線に西洋式灯台を設置した。

エルトゥールル号の乗組員が最初にたどり着いたのは、紀伊大島の東端断崖に建つ樫野崎灯台 (かしのざきとうだい) であった。この灯台は、「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが設計し、1870年(明治3年)7月8日(明治3年6月10日)に点灯した日本最初の石造灯台である。日本最初の回転式閃光灯台でもあり、漂流していた乗組員はこの光を辿って上陸してきた。
発生から2日後、9月19日に新聞各紙は事件を報道し、義援金を募った。外国人のための義援金募集は初めてのことである。現在の貨幣価値に換算して7千万円以上が集まった。
これは、開国時に結ばれた不平等条約を改正するために、日本には外国人を救助するだけの経済力があることをアピールする狙いもあったという。

救出されたトルコ船員を帰国させるために、トルコと領土を接するロシアが名乗りを上げた。
しかし、日本海軍が自ら帰国事業を買って出た。国は鹿鳴館 (ろくめいかん) 建築に匹敵する13万円の拒否を捻出。トルコ船員を海軍の比叡 (ひえい) 金剛 (こんごう) に乗せ、イスタンブールまで3ヶ月、8500キロの航海を成功させた。
これは、欧米諸国に日本の国力をアピールするとともに、海軍士官候補生の訓練の意味もあったという。
比叡と金剛は、のちの日清・日露戦争で活躍することになる。

茶道宗偏流の第8世家元で実業家でもあった山田寅次郎 (やまだとらじろう) は、エルトゥールル号遭難事件を知るとすぐに義援金を募り、トルコへ渡って一旗揚げようと目論んだ。
山田はトルコの商家に下宿し、西陣織や漆器を輸入販売した。これがオスマン帝国のスルタン(皇帝)・アブデュルハミト2世の目に止まるようになる。
大国ロシアの南下に悩まされていたオスマン帝国は、日露戦争における日本の勝利を祝った。しかし、オスマン帝国が滅びるまで日本と正式な国交を結ぶことはなかった。
続く第一次世界大戦では、日本とオスマン帝国は敵国同士になってしまった。山田は、やむを得ず一時帰国した。
戦後のオスマン帝国の解体とトルコ共和国の成立という目まぐるしい情勢の変化を経て、1924年(大正13年)発効のローザンヌ条約締結・1925年(大正14年)の大使館開設により、ようやく日本とトルコは正式の国交を結ぶことになる。

時代は下り1985年(昭和60年)のイラン・イラク戦争において、イラクに400人の日本人が取り残された。日本政府は救援機を出さなかったが、窮状を見かねたトルコが民間機をチャーターし、トルコ経由で日本人は全員が救出された。
2009年(平成21年)からはトルコから発掘チームが来日し、紀伊大島でエルトゥールル号の遺品の引き揚げが始まった。

映画『海難1890』

日本とトルコの友好125周年を記念し、合作で映画『海難1890』が制作された。エルトゥールル号遭難事件と、1985年(昭和60年)のイラン・イラク戦争勃発時にテヘランに取り残された日本人の救援のためトルコ政府が救援機を飛ばして救出した出来事の顛末を描く。公開は2015年(平成27年)12月5日。
撮影に使われた、全長5メートルを超えるエルトゥールル号の模型が、ジストシネマ和歌山に展示されている。

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参考書籍

表紙 海の翼 トルコ軍艦エルトゥールル号救難秘録
著者 秋月達郎
出版社 新人物往来社
サイズ 文庫
発売日 2010年03月
価格 785円(税込)
ISBN 9784404037916
イラン・イラク戦争開始から五年後の一九八五年(昭和六十)三月七日、イラク軍は突如、三月十九日以降にイラン領空を飛ぶ航空機の無差別攻撃を宣言。自国機の乗り入れのなかった日本は、イラン国内に取り残された在留日本人の救出対策に苦慮する。タイムリミットが迫るなか、日本人の苦境を知って、救援に動いた国があった…。このトルコ政府の英断の裏には、明治二十三年(一八九〇)九月、日本訪問から帰国中に紀州沖で台風にまきこまれたトルコ軍艦エルトゥールル号遭難の悲劇があったー。百年の時空を超えた“恩返し”を描いた感動の書き下ろし長篇大作。
 
表紙 トルコ 世界一の親日国
著者 森永堯
出版社 明成社
サイズ 単行本
発売日 2010年01月
価格 1,650円(税込)
ISBN 9784944219872
『1985年3月19日20時以降、イラン領空を通過する航空機は民間機といえども安全を保障しない』-イラン・イラク戦争のさなか、イラクのサダム・フセイン大統領が、突如警告を発した。イランの在留外国人は次々に出国するが、日本からの救援機も間に合わず、自国乗入れ機のない日本人は、各国航空機に「自国民優先」を理由に拒否され、取り残されようとしていた。タイムリミットが迫るなか、決断が下される。脱出を諦めかけていたその時、危険をも顧みず、日本人救出のために飛来したのはトルコ航空機であった。この立役者の1人である著者が、救出劇の舞台裏と、エルトゥールル号遭難事件から今日に至る、トルコが超親日国となった事由を挙げ、将来に亘る日本・トルコ両国の力強いパートナーシップを提案する。
 

参考サイト

(この項おわり)
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