西暦1843年 - 「夢酔独言」の出版

勝海舟の父による戒め
勝小吉
天保14年(1843年)、勝海舟 (かつかいしゅう) の父・勝小吉 (かつこきち) は、自らの遍歴をくだけた口語調の文体で記した「夢酔独言 (むすいどくげん) 」を出版する。
勝小吉は、享和2年(1802年)、旗本・男谷平蔵の三男として産まれる。7歳で貧乏旗本・勝甚三郎の養子に出されるが、14歳の時、出奔。4ヶ月に及ぶお伊勢回りの乞食旅を経て帰宅する。
旅で得た怪我が元で2年ほどは外に出ずに過ごし、その後、剣の鍛錬と喧嘩、吉原通いに明け暮れる。

勝小吉は、ついに借金で身動きがとれなくなり、身重の妻を残して21歳で再び出奔。
甥の新太郎(後の剣聖・男谷信友 (おたにのぶとも) )に説得され帰宅するが、父によって丸3年間座敷牢に押し込められる。この間に長男・麟太郎 (りんたろう) (のちの勝海舟)が産まれる。

ちなみに、剣の強さから江戸市中には並ぶ者がいないと言われた男谷信友であったが、小吉は彼を右腕1本で倒してしまうほど喧嘩が強かったと言われている。町火消しの新門辰五郎 (しんもんたつごろう) は、小吉のことを「喧嘩で右に出る者なし」と評した。

麟太郎が3歳になると、小吉は隠居して家督を譲りたいと主張するが、父に「少しは働け」と言われ、就職活動をする。しかし、日頃の行いのせいか、なかなか役を得る事はできなかった。生活費は処道具の売買、刀の目利きなどをして稼いでいたという。

天保7年(1836年)、娘のお順が産まれる。後に佐久間象山 (さくましょうざん) の妻となる。

小吉は37歳で隠居し、鶯谷に庵を結び、夢酔 (むすい) と号す。
42歳で「夢酔独言」を著す。

おれほどの馬鹿な者は世の中にあんまり有るまいとおもふ。故に孫やひこのために、はなしてきかせるが、能能不法もの、馬鹿者のいましめにするがいゝぜ


このように、子孫への戒めのために記されたとされている。

嘉永3年(1850年)、49歳で死去。最期まで士官しなかった。
こうした父の性格を受け継いだものなのか、息子の勝海舟は、江戸幕府・明治政府に仕えながらも、幕府・政府とは一線を引いている面がある。明治時代になってから、「オレは、(幕府)瓦解の際、日本国のことを思って徳川三百年の歴史も振り返らなかった」と語っている。

この時代の世界

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参考書籍

表紙 夢酔独言
著者 勝小吉/勝部真長
出版社 教育出版
サイズ 全集・双書
発売日 2003年12月
価格 864円(税込)
rakuten
ISBN 9784316800356
両人はかれこれというゆえに、その時おれが出て、「その書き付けを見せろ。」と取り上げて見て、燭台の火へかざし、見るふりして焼いてしまったら、両人が色をかえてぐずぐずいうから、「おれがしたがかれこれいうはいかがの心得だ。そのほう両人はわけておれにこれまで刃向こうたが、格別の勘弁をしておくに不届きのやつだ。」とおどかしてやったらば大いにこわがったゆえ、「この証文は夢酔がもらっておく。」とて立って座敷へはいったら、両人は「恐れ入りました。」とて早々帰ったゆえ、百五十両は一言にてふんでしまった。なんでも人はいきおいがかんじだとおもった。-『おれほどの馬鹿な者は世の中にあんまり有るまいとおもふ。故に孫やひこのために、はなしてきかせるが、能能不法もの、馬鹿者のいましめにするがいゝぜ』幕末を生きた勝海舟の父・勝小吉が語る破天荒な自伝。大きな文字、やさしい表記、親切な脚注付き。
 
表紙 江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか
著者 田中優子
出版社 小学館
サイズ 新書
発売日 2010年06月
価格 777円(税込)
rakuten
ISBN 9784098250844
金離れがよく、物事に執着しない「江戸っ子」の美学は、どのように育まれたのか?落語に息づく人々の暮らしをひもとけば、現代人が忘れてしまった、まっとうな「しあわせ」が見えてくる。江戸の社会・文化を渉猟し、現代への明敏な批判としてよみがえらせてきた気鋭の江戸学者が世に問う、初めての本格的「落語論」。
 
(この項おわり)
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