
南京郊外で戦う太平天国軍
清は、アヘン戦争で左遷した林則徐を召還するが、任地へ向かう途中で病死。内乱を収拾する力を失い、地方の有力者である郷勇や、イギリス、フランスが鎮圧にあたり、清の弱体化が一層進んだ。
太平天国の乱は、内乱としては史上最悪の死者数を記録している。当時の中国の人口の12分の1に当たる3000万人近くが死亡したといわれている。
太平天国の乱は、内乱としては史上最悪の死者数を記録している。当時の中国の人口の12分の1に当たる3000万人近くが死亡したといわれている。
この時代の世界
(この項おわり)
1850年1月11日、広東州で洪秀全が天王を自称し、キリスト教の信仰を取り入れた教団「太平天国」が大規模な反乱を起こす。太平天国の乱の始まりである。