
真珠湾攻撃で炎上中の米戦艦ウェストバージニア
このとき、藩王がヒンズー教徒であり、住民の8割がイスラム教徒であったジャンムー・カシミール藩王国では、いずれの国に帰属するかをめぐって国内で暴動が起きた。これを鎮圧する名目で、1947年(昭和22年)10月にイスラム教徒の民兵がパキスタンから侵攻を開始する。
藩王はインドへ武力介入を要請したため、10月に第一次インド・パキスタン戦争が勃発することとなった。

1948年(昭和23年)12月に停戦し、カシミールの6割はインド、残りがパキスタンの支配下となった。停戦監視のために国際連合インド・パキスタン軍事監視団(UNMOGIP)が派遣されたが、恒久的な和平は結ばれず、再びカシミールをめぐり、1965年(昭和40年)に第二次インド・パキスタン戦争が勃発することとなる。
藩王はインドへ武力介入を要請したため、10月に第一次インド・パキスタン戦争が勃発することとなった。

1948年(昭和23年)12月に停戦し、カシミールの6割はインド、残りがパキスタンの支配下となった。停戦監視のために国際連合インド・パキスタン軍事監視団(UNMOGIP)が派遣されたが、恒久的な和平は結ばれず、再びカシミールをめぐり、1965年(昭和40年)に第二次インド・パキスタン戦争が勃発することとなる。
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この時代の世界
(この項おわり)
資本主義(西側)も社会主義(東側)も、帝国主義に抵抗する形で誕生したのだが、あらたに宗教対立を生みだした。